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炭素繊維開発の歴史



もっと詳しくは

炭素繊維の発明から工業化まで
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S1359836824003263

記事の元情報

炭素繊維が生まれた1960年近辺から工業化の過程で、開発時に情報収集が行われる。その当時の資料が残っており、当時の生々しい資料を直接参考にした。また、当時の企業研究者にもインタビューを行った。

開発初期の歴史(概要)

炭素繊維は現在ほとんどアクリル繊維を出発原料としているが、レーヨン繊維が当初有望と見られており、アメリカの大手化学メーカーであるユニオンカーバイド社のレーヨン系炭素繊維のニュースを見て日本の炭素繊維研究が始まった。アクリル繊維に一手間かけると非常に優れた炭素繊維になると気がついたのは1959年、日本人である。

ユニオンカーバイド社ではレーヨン系炭素繊維の研究過程で1942年にアクリル繊維も取り扱ったことがあるようだ。1942年というのは日本で初めてアクリル繊維が基礎検討が行われたような時期で、しかし、キーになる一手間がわからなかったので、ほとんど検討はされなかった。1965年に、ユニオンカーバイド社は連続的に炭素繊維を製造する方法を確立し、工業化を開始した。それまでは空気なしに蒸し焼きにするには閉鎖空間で熱処理していたが、開口部があっても空気の流入をシールできる手法を見出したのである。ユニオンカーバイド社は冷戦下で軍事品を供給していたためにその新製品として開発されている。

炭素繊維としては一定の成功を収めていたが、物理科学者や金属材料研究者がその研究を担当しており、ケミストは少なかった。アクリル繊維はWinter博士1名のみが担当しており、良いアクリル繊維に出会うことはなかった。

東レが1969年にユニオンカーバイド社にアプローチして、東レからアクリル繊維を、ユニオンカーバイド社から連続炭素繊維化の技術を交換した際には、これまでに見たことのない優れたアクリル繊維と驚きをもって受け入れられた。そこから両社の技術者が行き来する交流が活発化したが、なお、アクリル繊維原料は東レに任せて、ユニオンカーバイド社は本命とするレーヨン系炭素繊維に注力する決断をした。

その後、アクリル繊維を原料とする炭素繊維が主流となり、ユニオンカーバイド社も東レからのアクリル繊維の設備を導入することになる。

ユニオンカーバイド社は1984年、悪名高いインド ボパール工場で毒物漏洩事件を起こす。2万人近くの死者を出す大事故である。この頃のアメリカ企業は競争力を失っており、無理なコスト削減に走ったことが要因の一つと考えられている。この事件もあり、炭素繊維事業は、アメリカの石油会社Amoco、後継のBP、化学メーカーCytec、Solveyと順に身売りされていっている。戦中から戦後まもなくは圧倒的な技術力で先頭を走っていたものの、現在は研究レベルも含めて炭素繊維開発に遅れをとっているアメリカを象徴する歴史である。


M&Aによる企業の消長


工業化の進展で競争が激化し、統合が進行した。


未来へ向けて


宇宙エレベーターは宇宙空間への物資輸送に効率的である。炭素繊維の展開例として、宇宙エレベーターの実用化に向けた考察にも触れたい。


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