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私とファッションのこれから

昨日ネイルに行こうと思って、土曜日だから楽ちんなTシャツワンピでさらっと出かけようと思って、でも久しぶりの恵比寿だから服屋さん見たりしたいなと思って、そうしたらTシャツワンピはやめて、なんかお洒落に見える格好しなくちゃ・・・
と、ここまで思ったところで頭に???が浮かんだ。

「え・・・でもそれって、誰のため?」

私はTシャツワンピが着たいはずなのに。
土曜日だから、リラックスした気持ちで、軽いカバンで、スニーカーで。

なのにそれをやめて、ちょっとエネルギーが必要な、綺麗なデザインのブラウスや、ウエストがタイトなスカートを履かなきゃと思ったんだ。
TPOが必要な、特別な予定もないのに。

じゃあ一体全体、誰のためって、
強いていうならば・・・なんと店員さんのためだったんだ。

もっと言うと、店員さんに「なめられないため」だったんだ。

とすると、なんで店員さんになめられることが怖いのか?
そもそもラフな格好だと店員さんはなめてかかってくるのか?

ここまで気づいた時点で、自分自身に結構ビックリしてたんだけど、なんで自分はこんな思考をしてるんだろうと思ったので、考えの元を探っていったら、両親に昔言われた言葉を思い出した。

「お店の人は、お客さんの服や時計やカバンを見て態度を変えるから、ちゃんとした格好をしなきゃいけないよ」

とか、そんな感じだったと思う。
それ以来、無意識の内にも、ちゃんとした扱いを受けるためには、お金のかかった服を着て、時計やアクセサリーを身に着けなきゃいけないって、思ったんだと思う。

そんな全然ハッピーじゃない、後ろ向きで脅迫観念に駆られた気持ちに動かされて服を着替えていたんだってことにやっと気づいた。

でも、ファッションってそもそも自由だ。
自分の好きな服を、気分に合わせて、好きなように着ていいもの。
TPOはあるけれど、こんな風に特に予定のない日なんて、それこそ好きな服を気持ちよく着たらいいんだ。そして自分を表現したらいい。
それなのに、そんな誰のためにもならない考えに縛られていたなんて、気づいたことで縄を解けて本当によかった。
昨日はもちろん、Tシャツワンピで軽快に街へ出かけた。

ところで、話は少し変わるんだけれど、最近、エシカルファッションという考え方を知って、その考えにとても興味をもっている。

私は本当に服が好きで、買い物することも楽しいので、ファストファッションでも色んな服を買う。気分に合わせてすぐに買えるファストファッションは、お腹が空いたらお財布を心配せず、すぐに食べられるファストフードみたいに、とても便利だ。

でも、その便利さを享受し、楽しむ一方で、なんだか満たされないような寂しさを感じていた。
まるで、私の体の上を沢山の服がただ滑っていく感じ。
可愛くて大好きで買ったはずなのに、また次々に欲しいものが出てくる。
広告が話しかけてくる。
買ってみる。そして数回着たら、また新しいものが出てくる。
繰り返し着るというよりは、そのときの旬の気持ちを満たしたら終わり。
わたしのクローゼットには、着られることを待つ服たちが列をなすように沢山詰め込まれることになった。

心のどこかで、これは異常事態なのではないか?と警鐘が鳴っていた。

そんなときにエシカルファッションの考え方に出会った。
エシカルファッションとは、日本語で言うと倫理的なファッションというような感じになるんだろうけど、服を買うときに、その背後にある生産者(発展途上国で働く工場で働く人々や、綿花を栽培する人)や、環境や、サステナビリティのことを考えた上で、自分が何を着るか選び取ること、みたいな風にわたしは理解している。

最近、「True cost」っていう映画を見たんだけど、ファストファッションが生まれ、昔より細かな流行が生まれていくなかで、本来消耗品ではないはずのファッションが消耗品になり、使い捨てられていくようになった時代背景や、生産地や綿花栽培地の悲惨な現状を目の当たりにして、なんていうか、もう、本当に想像を絶してた。

わたしが、日々の本当に小さな、昔だったら無視されたり忘れ去られていくほどの、小さな欲望を満たすために、布をまとう、そのために犠牲になった命や環境があるのかもと思うと、そんなのやりきれないというか、そんな小さい欲、満たさなくていいやと思った。

お小遣い制だった高校生の頃や、お金がなかった新卒の頃、お金がないからこそ、自分が本当に欲しい服を買うことにもっと一生懸命だった気がする。
高くても、頑張って予算内で買って、お出かけの度にその服を着ていた。
そのほうが、こんなに服に囲まれた今よりも、心が満たされていたんじゃないか。ずっとかっこよかったんじゃないかと思った。

家にある服の生産地を確認すると、やはり安い服は発展途上国が多い。
高い服は、Made in Japanだったりした。
高い服には高いだけの理由がきっとある。
各企業の取り組みだってきっと違うだろう。

自由に使えるお金が増えてきた今だからこそ、
わたしはもっとその使い方に対して賢くならなくちゃいけない。

ファッションが大好きだからこそ、自分を表現するからこそ、楽しみであるからこそ。何を纏うのか、どの企業を支援するのか、もっと真剣に向き合ってみたい。
一瞬を刹那的に幸せにするファストファッションは、享楽的な生き方にはふさわしいかもしれない。
でも私は、これからもっと、大切にできるものを増やせるような楽しみ方をしたい。
#ファッション #自由 #エシカル #エシカルファッション

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