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発達障害の我が子に、自宅での「声かけ」はもうやめよう

こんにちは。
私事ではありますが、先週、息子の1年に一回のウィスク(WISC-Ⅳ)の結果が出まして
そちらが総合IQ92となりました。


1つめの記事で書きましたIQは、田中ビネー式で90だったので
随分の伸びだと思っています。
(ご存知かもしれませんが、通常、田中ビネーよりもウィスクの方が10ほど下がると言われているほど、ウィスクの方が難しいテストなんです)


主治医からも、
「ウィスクは前回、81だったからすごく伸びてるね!」と言われました。
ただ、伸びているのは「処理速度」の項目のみで、
他はほぼ横ばいなので、「処理速度」だけが格段に上がって平均を押し上げた、という結果ではありますが
ウィスクで、「平均」の値に入ってきたのはとても嬉しいことでした。

最初の発達検査から、IQ(DQ)71→92の伸び。
これからも、自分なりの「発達障害は治る(改善する)」を希望に
努力を続けていきたいと思います。


さて、本日の本題に入ります。

今日のテーマは、「自宅での声かけはもうやめよう」という
また、前回のテーマに続き、批判されそうなお題です。


私も、発達障害に関する本は、相当腐る程読んできたつもりですが
どこにもかしこにも
「声かけ」って書いてないですか?


これって正直、耳タコじゃないですか?(笑)


発達障害アドバイザーみたいな人のメルマガとかHPにも
「学校へ行き渋りの子どもに効く声かけ!」みたいなのが書いてあって

私はそれを見るたび、「あーあ…」となるわけです。

またかよ、耳タコなんだよ!!!そんな余裕ねーし!!と。(←本音)


でね、更に言ってしまうと
「声かけ」で発達障害が治るわけじゃないんですよね。


まあ、本人の生きやすさ・やりやすさっていう面で言えば
集団行動の中で、担任の先生にこれをして頂けるとありがたいわけで

まあ後は、療育の先生にもこれをやっていただけたら
それもまたありがたいわけなんですが。


でもね、例えば習い事とか
そんな沢山配慮のない学校だったりとか
そんな所に行ってしまったら、「声かけ」なんてないわけで
だとしたら、
「声かけがあって当たり前。声かけがあれば何とかなる」と
「声かけ」に頼るってのもなんか違うと思うんですよね。


ある発達障害の子を持つ母親の本(結構有名です)に書いてあるのは
家じゅう、その子の生きやすいように貼り紙(インストラクション)だらけにするというもの。その子が生きやすいように。


でも、これ↑っておかしくありません?っていうのが私の考えです。

家から一歩出れば、
「その子のための貼り紙」なんて存在しないわけで
だとしたら、そういう補助なしに生きていけるようにすることが
親の役割なのではないでしょうかね?と私は思ってしまうわけです。


発達障害の子に対して、「声かけ」「声かけ」って
もう呪文じゃないんだから…と。


それは、やって下さる場所があるのであれば、そういう方々にお願いして
もちろん自分も参考程度には聞いておくこととして。
私たちは日々、朝から夜寝るまで、子供の衣食住を整えるので精一杯なのだから、「声かけ」とかいうことはそこまで意識しない。


それでいて、発達障害を「治す(または改善する)」ということに
フォーカスする。
「声かけ」で発達障害を治せるなら良いのですが、
私が周りを見渡す限り、「声かけ」で発達障害は改善していません。
(ごめんなさい、批判されるかもしれませんが
声かけっていうのは「その場」だけその子が何とかやり過ごせたり
傷つかずに集団行動についていけたり、その場を困らないための
その場にいる大人からの優しいサポートに過ぎない、と思っています)


それよりも、
親である自分が今死んでも、
子供が少しでも「困らない自分」に変化していくことが重要だ、と思っています。


では、「声かけ」の代わりにできることは何か?

それについては、明日以降の記事でご紹介していきたいと思います。




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