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チップを渡す_2024年5月3金/晴れ

ある人の自宅へ行ったとき、家の中を掃除してよと頼まれました。
その人は膝が痛いらしく、風呂掃除と庭掃きを時給制でね、と。
はいよと引き受ける「仕事」はたのしいものです。
ごく普通に動いて掃除を終えた。
ところがです。
終わってみたら、時給とはべつに3000円をもらっちゃいました、わたし。
仕事して余分にお金をもらう、夢みたいな話がほんとうにあった。
つまり、「チップをもらった」わけですが、
「チップ」って、よくやってくれたというしみじみした気持ちを
お金で伝えることでしょ?
そんなつもりはなかったけどなぁ、なのに、
ひょいと「チップ」が現れたりするから不思議です、
もらうのはうれしいし。
そんなこと考えていたら
「チップって、なんだろう?」と思えてきました。

たいてい世の中では、するより先に「働く値段」が決められています。
「給与」とか「報酬」、どれだけよくやったかの「査定」とか、
そういう値つけがあるおかげで産業システムが回っています。
それはそうなんですが、もっとこう、
決まりや対価を超えた「よろこび感」があります。
わたしもそうですが、勤め人の環境に育つと
「チップ」は珍しかったりします。
では、事業家の子どもにとっては?商売をする家では?
みんな、「チップ」をどうしてるのでしょうか。
外国の風習というイメージはありますが。
日本では「心付け」とか「おひねり」とか言いますね。
モノやサービスに心が動いたとき、
その心の動きを尺度にして人の働きを値つけする、
つまり、後から自由に値段を決めるわけです。
とても自由にしてるのは投げ銭でしょう。
なくとなく相場はありそだけど、それでも、えいやっと、
ネット上で「1万円」の投げ銭がとび出すなんてことがある。
投げ銭をあげて、もらって、うわっと盛り上がると、
その場のみんなのわだかまりが壊れていく、
こういうとこ、なんだかすてきです。
人は善意の世界に住みたいのだとも思います。
「ブラボー!」とか「ありがとう!」とか、
人は、「よろこび」の気持ちを止められないときがある。

だって、コンビニにだって、「感じのいい接客だったから」と
レジで500円玉を余分に置いていく人がいるんですよ。
駅の改札やバスのように「チップ」を渡せないところだと思ったら、
すごくないですか?
よく見たら、買い物やサービスだけでなく、
「よろこび」のお金を渡してることはたくさんありそうです。
よく、募金や寄付では、日頃の働きに対して気持ちを伝えます。
お年玉は、子や孫の可愛らしさに対してあげるのかな、
そして、神様にはお賽銭を、ね。
じぶんで金額を決められるのがうれしい、もらうほうも、うれしい。
お金を否定するところに「チップ」はありませんから。

日々を彩る「チップ」のことは、
もっと語られてもいいんじゃないでしょうか。

まずは、「釣りはいらないよ」からやってみようか、わたしよ。


よんでくださった方、ありがとうございます! スキをくださった方、その勇気に拍手します! できごとがわたしの生活に入ってきてどうなったか、 そういう読みものをつくります! すこしでも「じぶんと同じだな」と 思ってくださる人がいるといいなと思っています。