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飯を食べ、生きる。


1年半前にUターンして、ずっと実家暮らしをしている。昼にはいつも母親が弁当を持たせてくれて、夜も帰るとごはんがすぐに食べられるように準備してくれている。

そんなありがたい環境があるから、私は料理、つまり自炊をしない。文字通り、「自分で炊く」ということをしばらくしていないのだ。

最近、自炊料理家として活躍する山口祐加さんの著書『自分のために料理をつくる』を読んでいる。食べることと心がどれだけつながっているか、つくることからケアがはじまるという話などが書かれていて、興味深く読んでいるところた。毎日少しずつ自炊欲だけが高まっている。

最近、料理家の方がつくったごはんを食べる機会があったのだけど、どれも素材の味を活かした味付けで、おいしかった。「みなさん年度末で疲れてるかなって。それと、食べて午後眠くなっちゃうかなと思って少し少なめにしてます」と伝えてくれて。その時に「なんて優しくて愛情が濃い料理なんだろう」と思った。初対面の人にも、料理によってここまで思いやれるのか、と思った。

少し前に、料理から思いを受け取るということを体感するできごとがあった。

遠方で暮らす彼のところへ行ったとき、私が大好きでたまに晩ごはんにお願いしていたナポリタンをつくってくれた。目の前で手際よく仕上げて出来上がっていくのを横でじっとみていた。聞けば私に作る前に一度練習してくれたと言う(この時点でちょっとうれしくて泣いている)。ひと口食べると、とんでもなくおいしかった。お店の味って感じのおいしさもあるのだけど、それ以上の何かが私を満たしているのを感じた。それがきっと、思いの部分なんだと思う。愛情がダイレクトに伝わってきたものだから、それをそのまま受け取って食べ進めようとした瞬間、私はボロボロと泣いてしまった。ひと口、またひと口食べるたびに、泣きたくないのに涙が止まらなくて、自分でもどうしようもなかった。ここ最近自分のことを雑に扱っていたのに本気で気づいたのはこのときだった。ケアしない日々を続けてきて、いろんなものが溜まっているタイミングだった。

あぁ、自分がこんなにも大切にされるべき存在だったとは。何かを許されたように泣いた。そして食べた。食べ終わるころには私の目の前に涙と鼻水を拭ったティッシュがてんこ盛りになっていた。サステナブルじゃないなぁ。

誰かを思ってつくる料理は、一つのケアの形だなと思う。そして祐加さんが言っているように、誰かのために料理をつくるのと同じように、自分のためにつくることを定期的にしてあげたいと思った最近。

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