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「都会的なまち暮らし」と「昭和のおっさん&マイルドヤンキーの郊外暮らし」(前編)

 今週は出張ウィークで横浜で2泊、宮城県の古川で1泊の出張に出ておりました。

 昨日、家に戻ってきて、久々に家のベッドで寝たのでぐっすりと睡眠をとれたような気がします。

 出張中に古川で、まちづくりの相談を聞いていたときに、僕の中では当たり前と思うような感覚が案外、みんなが持ち合わせていなかったことがありました。

 それは、地方都市の周辺にある小さな自治体でも、古くから歴史があり、文化があるエリアに住むことは案外、都会的な「まち暮らし」をでき、一方で周辺の住宅しかない「郊外暮らし」というものがあり、本日は、それぞれの成り立ちなどを解説するコラムを書いていきたいと思います。


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まちの成り立ち

街道を中心として都市の成立

 まちの成り立ちなどを調べて行くととても面白いものがあります。街道筋に宿場町や門前町が成立したり、他にも産業などが成立したりしてまちが成立して行くなどもあります。これは、多種多様あり、説明して行くとかなり古い歴史などにも言及して行くため、今回は深くまでは書いていきません。
 簡単な例を出して行くと、僕の住む街であれば、奥州街道があり、そこに参勤交代の宿場町などで発展し、さらに江戸時代には神社を中心に馬の取引などを行うマーケットも開催している門前町として発展していきました。その後、電車などが通っても、仙台のような地方中心都市の衛星都市としての役割もこなしていったと言えるでしょう。
 このように交通要所として機能を持ちながら、門前町や宿場町として発展させ、それと合わせて文化や生業を築いていったと言えるでしょう。このような都市的なまちが成立して行くのは、江戸時代以降(1600年以降)は街道などのポジションを得た地域が都市として発展して行くのが主流だったと言えます。他にも、塩や物資などを製造とその搬送経路が街道を作り発達することもあります。
 参勤交代のシステムや物資なども搬送経路などが、まちを作っていたので、そのインパクトは大きかったのでしょう。うちの街であれば、参勤交代により発達したと考えると、1600年以降、約400年ほどかけて育った都市であり、それなりに長い時間をかけて作り上げた街とも言えます。

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