見出し画像

2024.03.01(金)存在意義

一昨日から同僚に一人ずつ電話をかけ、退職の報告。いずれ全社ミーティングで発表になるだろうが、そこで初耳ではあまりにも水くさい。曲がりなりにも11年弱勤めてきたわけだし、社員はたかだか10人。電話と言っても大した手間ではない。

今日は4人に電話をかけた。その反応。

若手「社内ライター、タサキさんに合ってると思います。お客さん相手のやりとり、苦手そうだったから……」→何度も公開処刑を目撃されてきたから、そりゃあバレるわな。

中堅エース「マジか。どうなるんだこの会社」

遊軍的ベテラン「あ、そう! やばいねこの会社」

窓際的ベテラン「いじめられてたもんね……。よく決断したね。よく耐えたね!」

え、おまえもか!という驚き3:むべなるかなという納得1。最後の窓際的ベテランも、以前は俺のように公開処刑によく遭っていた。だからこその共感なのだと思う。

全社ミーティングにおける叱責を周囲がどう見ていたかは、俺にとって1つの関心事だったが、今回の退職報告で話題に挙げたのはこのベテラン社員のみ。まあ、こんなものか。しかし個別に話ができてよかった。会社の状態に対する本音、各自の状況なども話してくれた。ほぼ毎日リモートワークで社員同士の雑談すらなかなか起きない今、こういう会話は滅多にできない。


午後は前職の理系企業との打ち合わせ。同社が請け負っているある案件の一部に、ブランディング戦略の提案があるのだが、畑違いの業務なので考えてくれないかという依頼だった。

これがなかなかに面白かったのである。提案し、フィードバックをもらい、意見を言い合い、また提案する。先方から「いやあ、充実したディスカッションができました!」と感謝され、自己肯定感爆上がり。現職でも前職でも感じたことのない、手応え。うれしいひとときであった。こういう体験の積み重ねが、仕事の腕を磨いていく好循環を生むのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?