親の生活を改善できずに悩んだ私が気づいた本当に大切なこと
両親の介護が本格的に始まるまで、私が親に会うのは2~3か月に1回くらいでした。
親の老いや生活習慣の乱れに気づいてはいたものの、見て見ぬふりをしてしまっていました。
もっと言うと、気づいているのに気づいていないふりをしていました。
でも本格的に介護が始まると、そうも言っていられません。
親と会う回数は必然的に増え、「親の老い」「親の衰え」という現実に、正面から向き合うことになりました。
するとどうしても、目をそむけたくなるような現実を目にすることになります。
糖尿病の父の健康を考え食生活を改善するように言っても、父はお菓子を食べることをやめません。
せっかく自分が頑張って掃除をしても、部屋にはだんだんといらないものが増えて荒れていきます。
年金でやりくりするために節約プランを考えても、父はコンビニでいらないもの(と私には見えるもの)を買い続けます。
私が親に食生活やお金のことを言うと、その場では理解を示してくれるのですが、結局何も変わらないままです。
その繰り返しです。
一体どうしたらいいんだろうと思いました。
自分は親のためを思って、親の生活の質を上げるためにどうすればいいかを考え、必要な行動をしました。
自分の時間を使って本を読んだり人に話を聞いたりして勉強して、それを親にも説明してきました。
でも、親は分かってくれません。
食生活は一向に改善されず、無駄遣いも収まる気配がありません。
私は途方に暮れました。
そんなときに、居宅ケアマネのちはるさんのnoteに出会いました。
ちはるさんは私のnoteを読んで、下の記事を紹介してくださいました。
読んだ瞬間、そういうことか!と気づきました。
私はこれまで、「親のために」と思って行動してきたつもりでした。
でもたぶん、そうではなかったのです。
私の行動は「自分の安心のため」のものでした。
ちはるさんのnoteを読んで、そう思いました。
私自身、いつでも合理的で正しい選択をできているとは、到底言えません。
夜更かしすることもあるし、夜中にお菓子を食べることもあります。
ダラダラとスマホを見てしまうこともあります。
無駄遣いだってします。
両親も同じなのです。
たとえ高齢で糖尿病があっても、「やりたいこと」「食べたいもの」「行きたい場所」があります。
そしてその選択が合理的でなくても、ベストなものではなくても、その人が決めたことは尊重すべきなのです。
「親は親、自分は自分」ということです。
「親は1人の尊重すべき個人であり、自分もまた尊重すべき個人だ」ということです。
私が望むとおりに親の生活を変えることなんて無理なのです。
そして、私が望むとおりに親の生活を変えることなんてする必要もないし、するべきでもないのです。
「親の希望を尊重し、望むような生活をさせてあげよう。」
「でも、あまりにもひどいときは軌道修正するのが私の仕事だ。」
それくらいの気持ちでいるのがいいと思えるようになりました。
介護は長期戦です。
うまくいかないことがあるたびに、あれこれと悩んでばかりでは身が持ちません。
介護と長く付き合い、両親も、私も、私の家族も、幸せになれるように頑張っていきたいなと思いました。
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