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163 ぽんぽんアイスクリーム

天色が心地よい空の日。
しっかり暑くて、草も木も汗をかきそうな日。

図書館に行く途中で、マリーゴールドと出合った。
その山吹色の花は太陽のような明るさで花壇を彩っていた。

まぁるく愛らしい姿。その花壇の脇に小さな女の子がいた。
5歳くらいだろうか。黄色い帽子をかぶって、水色のチェック模様のワンピースを着ている。
花壇の周囲をぐるりとかこっているレンガのそばにちょこんとしゃがんで膝に手を乗せてなにかを見つめている。

私みたい、と思った。
私も幼いころ、やたらとしゃがんではそこから見えるものをじっと見ていた。

ありんこ、カタバミ、クローバー。
ダンゴムシ、小石、ガラスのかけら。

子どものころは世界があまりにも広くて、だから小さな目ではすみずみまで見ることができなくて、足下ばかり見ていた気がする。

名前がわからない花や木は母に聞いて、母がいないときは勝手に名前をつけていた。

「ぴらぴらちゃん」とか「ゆらりさん」とか、イメージで名前をつけていた。

小学生になってすぐ、マリーゴールドの花壇を好きになった。
ぽんぽん、と呼んでいた。マリーゴールドという名前を先生に教えてもらってからも、なんとなくぽんぽんと呼んでいた。
マリーゴールドはきっと長過ぎたのだと思う。

当時は父も母も忙しかった。だから、私は体調が悪い日でも申告しなかった。それは、両親を気遣うというよりも、ただ「厄介者」になりたくないからだった。

ある日、朝からお腹が痛み、朝食をほとんど残してしまった。
母から「どうしたのか」と聞かれても、「なんでもない」と答えた。母は小さくため息をついた。

そのまま学校に行って授業を受けたが、時間がたてばたつほどお腹の痛みと気持ちの悪さが込み上げた。休憩時間に先生が顔色の悪さに気がついて、声をかけてくれた。その時、私は初めて腹痛を訴え、保健室に行った。

保健室の先生は、いつからお腹が痛かったのか、どんな痛みかなどの聞き取りをして、お腹をさすってくれた。温かい手が痛みを少しやわらげてくれた。このまま治ってほしい、と思っていたところへ、担任の先生が来てこう言った。

「お母さん、あと20分後くらいに来てくださるみたいよ。荷物を持ってきたわ」

私は体がつめたくなるのを感じた。
ほとんど憤りを感じていたと思う。
母に知らせてほしくなかったのだ。
でも、何も言えなかった。心の中に生まれては消えるどす黒い思いは、言葉にすることもできず、胸の奥にわだかまった。

保健室の先生は、もしかしたらその思いに気がついたのかもしれない。
担任の先生が「お大事に」と言って授業へ戻ったあと、こう言った。

「お母さんと話せてる?」

私は「はい」と言った。お母さんともお父さんとも話せています。二人とも、お仕事がんばっているけど、私の話をいつも聞いてくれます。
保健室の先生は安心したようだった。

保健室は一階にあって、窓から校庭が見えた。
外に出られるガラスでできた窓のようなドアもあって、そこからマリーゴールドの花壇が見えた。花壇と保健室の位置関係がわかっていなかった私は、思いがけず知り合いに会ったような気がしてうれしくなった。

それで、自然と
「ぽんぽん」
と言った。保健室の先生はお腹のことと思ったのか
「どうしたの?大丈夫?」
と聞いた。
私は少しはずかしくなって黙り込んだ。
ちゃんとした名前がある花なのに、へんなあだ名をつけている、と思われるかもしれない。

それに、保健室の先生に「あれはマリーゴールドっていうのよ」と言われたら、ぽんぽんがぽんぽんでなくなるような気がした。

黙っている私をぽんぽんは外からはげましてくれているようだった。

母が保健室に来て、先生に挨拶をして校舎から出た途端、こう言った。
「朝から具合が悪かったのね。どうして言わなかったの」
私は何も言えなかった。
どうして言わなかったのか、説明できなかった。
何か言わなくては…そう考えるうちに気持ちの悪さがどんどん込み上げてきた。

母がなにか話していて、外は暑くて、黄色い帽子は鬱陶しかった。
そして、あっと思う前に嘔吐した。嘔吐した場所は学校の正門だった。
その時、母がどんな反応だったのかわからない。ただ、学校の向かいにある文具店のおばさんがバケツを持ってきてくれて、水を流し続けてくれた。

おそらく、相当な量を戻したのだと思う。
一度家に帰って、母と小児科に行った時には、けろっと体調は治っていた。

そのため、小児科の先生にどうしたのか聞かれても答えられなかった。
お腹は痛かったし、気持ちも悪かったけれど、全部吐き出したのでもう治りました。なので、どうしてここにいるのかわかりません。
そう思いながらも、それを言ったら母がかわいそうな気がして、何も言えなかった。

かわりに母が懸命に説明をして、小児科の先生が頷いたのち、「きょうはおうどんとか、消化にいいものをあげてくださいね」と言っているのが聞こえた。

その日の晩、母はおうどんを作ってくれた。うす味の細麺だった。

父が帰宅すると、大きな声で
「おぅい、メロン買ってきたぞ!今日は父さんがデザート作ってやる」
と言っているのが聞こえた。

そういえば、父は子どもが体調を崩すとはりきるのだ。

母はあわてて
「ちょっと、この子お腹をこわしているのよ。そんなつめたいもの…」
と言ったが、父はもちろんきかない。どんな薬よりもメロンが効くと思っているのだ。

母は困ったように私を見た。私は、少し迷って
「たべたい」
と言った。

父はバニラアイスに切ったメロンを乗せてくれた。
つやつやとしたオレンジ色のメロンと優しい白色のアイスクリーム。
たしかに、これを食べて元気にならない人はいない気がする。

メロンのみずみずしさと、とろりとしたアイスクリーム。
どちらも冷たくてこっくりと甘い。

ほてった体にすっと染み込むごちそうデザート。
オレンジ色のメロンはぽんぽんみたいだった。


年を重ねていくと、子供の頃にはわからなかったものがわかることがある。
「あの時はこうすればよかった」「あの時はこう言えば簡単だった」。
そんな風に昔を思い出しては、恥ずかしくなったり、後悔したりする。
それは、子供だった頃の言葉も選べなかった自分をなかった事にしたいのかもしれない。

でも、あの日腹痛を言い出せなかった私も、保健室の先生にぽんぽんのことを知られたくなかった私も、小児科の先生の前で黙り込んだ私も、その時言葉がでなかったのは、ちゃんと理由があるのだ。

マリーゴールドのそばにしゃがんでいる女の子。
大人と話すのが苦手で、まだ自分の気持ちを言葉にできない女の子。
それがときに苦しくて、足下しか見られない時もある。
でも、下を見たからマリーゴールドと出合えたように、そのときにしかないみずみずしい感性を確かに持っている。

今でもマリーゴールドを見ると、やっぱりぽんぽんだと思うし、そのたびにあたたかい気持ちになる。
幼いころ、私と言葉を使わない交流をしてくれた、大切な友だちだから。

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今回のイラストと小さなおしゃべり

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私はどうもお腹が弱いらしく、今でもアイスクリームをたくさん食べると腹痛になります。
お腹が強ければ、「爽」も「MOW」も一気に二つくらい食べられるのに。

昔イタリアに行った時、ジェラートがおいしくて毎日食べていたら案の定お腹をこわしました。同行者いわく、フィレンツェのホテルのベッドの中で汗をかいて苦しみながら「明日はマンゴー味を食べる…!」と言っていたそうで、食べものに対する愛ってすごいなと思うのです。

死ぬ前に何を食べたい?とよく質問されますが(なんでよく質問されるんだろう?)、私は迷うことなくお茶漬けとアイスクリームと答えます。そのくらい愛しているのに、たくさん食べられないなんて、片想いみたいですね。

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