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官僚作成ポンチ絵の必要要件と一般人における「わかりやすさ」のギャップ、そしてわかりやすさは印象操作リスクを抱えるという認識を持とう

ちょっと前にツイッターで話題になった「官僚のポンチ絵をデザイナーが”修正”してやったアレ」。確かに、ビジュアルの整理はできているが、肝心の内容が意味をなさなくなっていたり、本来必要な情報がカットされていたり、誤解を招くようになっていたり、とツッコミを受けている。
結論から言うと私も同意見である。

それにしても、オリエンタルランドの決算資料を勝手に”手直し”するのって怒られないのかな。。。それと、デザイナーなら、せめて数字は右揃えにしてほしいし、視線移動の多いレイアウトもやめてほしいなあ。。。

(定型文)こんにちは。名古屋を中心にウェブ制作、マーケティング、商品開発、企画、釣り事業マーケターなどなんやかんややっているUtility-arts.comの大林と申します。記事の最後にリンクなどまとめておりますので良かったらそちらもご覧ください。
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官製ポンチ絵を「霞が関曼荼羅」とするネーミングにネット民の知性を感じる

曼荼羅とは、そもそも識字率が低かった時代において、僧侶が死後の世界の概念や道徳などを説明するために持ち歩いた一枚絵のことをいう。
私が好きなのは「熊野観心十界図」である。程よく余白を生かしたレイアウトでわかりやすい。

餓鬼道、畜生道、修羅道、地獄道といろいろあるのだが、我々の生きている「人道」もまた、苦痛と無情の世界だという。こうした壮大な概念を説明するために用意された一枚絵として、曼荼羅は有用である。

さて、お気づきかもしれないが、これは官僚が作るポンチ絵と全く同じ使われ方をしているのである。霞が関曼荼羅というネーミングは秀逸である。

誰に見せるのか、がデザイナーとして抑えておくべき基本中の基本

総ツッコミを受けた理由は、これに尽きる。官僚が作成するポンチ絵はその事業に関連する利害関係者、行政、政治家などあらゆる方面に対して説明責任を果たすためであり、何かが抜けたり、余計だと、これまた総ツッコミを受けかねないので、全部載せせざるを得ない。

また、序列として同様のものについて勝手に大小に差をつける、強調省略などをする、ということもおそらく許されないのだろう。

いわゆるポンチ絵は、各方面の関係者のコンセンサスをとり、理解と共有を目的とするため、一般人が理解しにくいかどうかについてはそれほど重要視されないものではないだろうか。

一方、民間対民間、たとえば私がなにかクライアントのために説明資料を作るようなシチュエーションであれば、それはもう抜粋オブ抜粋、重要な点だけをまとめて、気になる点があれば生データはいつでも出しまっせ、というスタンスである。自分自身の「作業」もできるだけ小さくしたいし。

余計な仕事を増やしても「わかりにくい」と言われてしまっては元も子もない。この場合はいかに省略するか、であるが、当然その裏では不都合なデータを隠蔽する余地が発生するし、そこは編集者の良心が問われることは間違いない。
これは業務上の評価と信頼関係によって担保されるからこそ省略が許されると言ってもいい。一方で行政は公金を使うため、そうした省略は許されないだろう。

そもそも官僚の情報認識、処理能力の高さをナメてはいけない

官僚は詳細で複雑なポンチ絵を読み解く能力が異様に高い。彼らの世界ではあれが当然提示されるべき資料のボリューム、ということでもある。

教育産業でくすぶっていた頃、文部科学省の研究員によるセミナーに参加したことがある。テーマは「文科省が今後展開する引きこもり対策支援」である。そこに集まっていたのは、当事者、当事者家族、支援者、地元の社協など、一般市民である。普段からポンチ絵を重箱の隅をつつくように解析してはバリバリディスカッションするような人たちではなさそうだ。

セミナーは実によどみなく、つつがなく、エビデンスバッチリな調査資料と文科省謹製曼荼羅を織り交ぜながら進行した。情報量がエグい。私は支援側の立場だから良かったものの、当事者などからしたらカオスで不安になるんじゃないかというレベル。

ただ、重ねて書くが、セミナーの内容と展開には全くよどみがなく、整合性のある支援策の共有について文科省としては非常に適切に取り組んでいる、ということがわかった。非常に勉強になった。
それと同時に、彼らは普段からこれだけの情報量を処理し続けているのか、とその時の自分の抱えている情報量との圧倒的な差に震えた。

日々取り扱う情報の密度によるギャップ

質疑応答があったので、業務上抱えている構造上の問題とそれについてのアドバイスを求める質問をした。実に的確な返答だった。短くて余計なものは全く混ざっていない。

同様に、他の参加者からも質問が飛ぶ。これまた同様に、端的に結論をスパッと返される。

これが結局参加者からは不評だった。「我々に寄り添っていない。結局役人の考えることは難しくてわからん。」ということだった。

たしかに、目の前の人間に向き合っている感は薄いだろう。国としてどう取り組むのか、というスケールの話と、今苦しんでいるわたし、というスケールがその場で噛み合うのは難しい。少なくとも登壇者は一生懸命、誠実にやっていたと思うのだが、「冷たい」と言われてしまったのは悲劇だ。

登壇した官僚の反省点としては、これが個人レベルに落とし込んだ際どういう事が起こるのか、を掘り下げていく必要があったのではないかと思っている。それこそ、ソフトにした曼荼羅をうまく使うべきだっただろうと思う。
「あなたがいるのはここです、しかし、現状はまだここでサイクルが止まっています。だから、次はここに支援を受けに行きましょう、そのためのホットラインを今度作ります、」みたいな感じだろうか。

それこそ文字をほとんど「いらすとや」に置き換えた曼荼羅が必要かもしれない。

公共事業のポンチ絵を使って説明会を開いた状況を想像してみよう

脳内シミュレーションしてみたが、何度考えても、地元の土建屋、土地の権利者、市会議員などが集まる説明会では、やはりああいうポンチ絵で寸分の隙も見せない「仕事」が必須だろうと思った。

デザイン上であれこれ語るのなら、せいぜい配色やフォントの選択といったところだろうか。

見た目キレイな資料で満足していたら足元すくわれるかもよ

先にも書いたが、大胆にレイアウト、強調と省略を加えた資料というのは、つまり編集者のさじ加減で印象操作ができる余地があるということにほかならない。

それがわかりやすいというところで思考停止する癖がつくと、カモになっちゃうかもね。

日経新聞だってふざけたグラフ出してくるくらいだし、我々は常に「わかりやすさ」というインスタント性に依存し、時に印象操作に狂わされている。
https://twitter.com/nikkei/status/1719255974521782368

https://twitter.com/nikkei/status/1719255974521782368/photo/1

なんで1.0%と3.0%を揃えてんだよ!!!しかもこれ、前はもっとひどかったのを編集して再掲載したもの。ほんとひどい。


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