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OODAループはPDCAを置き換えない ウェブマーケティングにおいてふたつをどう使い分けるか

こんにちは。名古屋を中心にウェブ制作、マーケティング、商品開発、企画、釣り事業マーケターなどなんやかんややっているUtility-arts.comの大林と申します。記事の最後にリンクなどまとめておりますので良かったらそちらもご覧ください。

「PDCAサイクルはもう古い」ブームがあった

もうこの話題もすっかり古くなってしまった感じはあるが、いっとき「PDCAサイクルはもう古い!OODAループに置き換えよう!」みたいな話がちょこちょこあった。このごろあまりそういうのがSNSでわーわー言われなくなった感がある(個人の感想です)のは、結局本質的にそれほどPDCAを陳腐化する概念ではなかった、ということなんじゃないかと思う、というのがこの記事の趣旨である。

先に結論に少し触れると、筆者は戦略的なレイヤーと主な方針に基づく意思決定のような中長期的スパンではPDCAで、その前提の傘の下で戦術レベルの日々の動的な短期スパンはOODAを、というように適材適所で考えることをおすすめしており、OODAがPDCAを陳腐化するというちょっと前の謎ブームには警鐘を鳴らしている。

おさらい:PDCAとはなにか

あんまり文字数を割くのはアレなんでさっくりとまとめると、計画、実行、評価、改善のサイクルである。工業製品の品質管理プロセスで生まれた概念と言われている。

あらゆる仕事場で、これを高速で回せ~!みたいな感じでよく用いられる。ところで、少々形態は違うにせよ学校教育の場でもPDCA的なプロセスは普通に採用されている。あまりに普通すぎて自覚が難しいレベルだが、(先生は)授業準備、授業、試験、復習のサイクルも根本はそれだし、理科の実験や家庭科の調理実習も同じように計画書や予想を文章化し、実施し、評価し、反省をまた文章化する。なので、義務教育を受けた人はPDCAサイクルを経験していると考えて良いと思う。

だから、PDCAというものは特別難しい概念でもなんでもなく、ものごとを実施する際には個人単位からチーム単位、企業単位まで幅広く共有できる人類の発明である、というと大げさだろうか。

OODAループとはなにか

観察、状況判断、意思決定、行動を繰り返すフレームワーク。空中戦において構築された理論で、これをビジネスに応用することで柔軟な意思決定と改善に役立てる、という。

身近な例ではスポーツやゲームで皆さんも体験というか、こちらも無意識的にやっているはずである。プレーヤーとしても、監督としても、実質OODAループに沿って物事を動かしている。「ピッチャーのモーションに隙があるから盗塁しよう」みたいな。

PDCA陳腐化論者による攻撃を受けたwwww

以前やっていたTwitter(現存しないアカウント)でこの記事と同様の趣旨のツイートをしたら、OODA信者に噛みつかれた。
「お前の言っていることは浅はかだ」
という。赤の他人に突然噛み付いてお前呼ばわりした上に浅はかだとリプ飛ばす行為がそもそも浅はかなのではないかと思ってそう返信しておいたが。

そもそもOODAはPDCAを陳腐化しない。部分的に置き換えるかもしれないが。数年前は何故かそういう論調がチラホラ飛んでいたものだ。

PDCAとOODAのメリットデメリット

詳細はググったら色々あるんでそれを読んでいただければと思う。例によって記事が長くなりすぎるので割愛。

戦略レベル~集団で動く戦術レベルのテーマについてはPDCAを、個人が判断して動かす範囲の戦術レベルのテーマについてはOODAを、というのが私なりの結論である。

ウェブマーケティングにおいてどう使い分けるか

事業単位の年度ごとの計画、セールなどのキャンペーンの準備から終了までの計画、ウェブ広告配信キャンペーンの準備から終了までの計画のように、「戦略そのもの」「動く前から準備が必要で戦略に基づいた計画」は依然PDCAの考え方が適している。OODAでは、「計画」が飛ばされてしまうから、というのがまず1つ理由としてある。十分な調査計画がないまま大きな行動や出費を伴うのはおすすめできない。それじゃ単なる思いつき社長に振り回される組織と何ら変わらない。一人二人で完結するスケールの話ならともかく、沢山の人が関わるのなら、多かれ少なかれ計画は必須だ。とりあえずやってみようで大火傷するのは避けたい。


一方OODAループはウェブ広告配信の日々の状況に応じて目標クリック単価や配信時間など細かいチューニングを施したり、ECにおける売れ残り気味商品の価格を変更するなどの担当者レベルの判断で速やかに実行すべきシチュエーションに適している。というか、特に言語化せずとも、表などにまとめなくとも、やっているはずである。
あえていうなら、それらの品質を高めるためにそれをOODAループとして視覚化し、ここをこうしたほうがいいよね、というような評価をするなどの活用としてOODAループという概念の言語化は役立つ。

ここまで書いてきたように、それぞれに適したシチュエーションがあり、使い分けることが重要なのだ。統制、集約的、中長期的なPDCAに、柔軟、分散的、短期的なOODAが付随することでPDCAの「Do」がより充実、高速化する、という親子関係になればよいのではないか。

そもそもPDCAが適していないシチュエーションにぶちあたってたから陳腐化論が出てきたのかしら

現場担当者一人のためにPDCAをレポート化しろというのはナンセンスなので、そういう場面においてはOODAループにて権限委譲してったほうが早いし改善されるよね、という意味に限っては、PDCAにOODAが取って代わるという話には同意なのだ。ただ、それはそもそもPDCAを落とし込むべき場所ではなかった、という話なので、陳腐化というわけではなくて単に無茶振りしてただけ、ということが言いたい。

OODAは属人化しやすく知的遺産として残りにくいというデメリットも有る

エースが育てば良いのだが、そのエースに依存する状況を作るというデメリットも有る。OODAループにおける観察は特にその人のセンスや能力に依存する。また、観察から意思決定までが早いということは、一旦立ち止まって検討するということを省くわけで、文書化されず経験が共有/蓄積されにくい。そして客観的な調査、計画というプロセスをパスして観察から意思決定に直結するというスピード感はパフォーマンスの良いチームに追い風が吹いていたら非常に有益であるが、その逆もまた然りである。

やっていくうちに戦略的な方針から逸脱したり、根本原因に意識が向かないまま迷走を続けてしまう可能性があり、時々もう少し上の視点から振り返る時間が必要になる。ただ形だけ取り入れると、そうなりがちではないだろうか。

前提として、適切な観測、判断ができる担当者が育っていないとOODAは正しく機能しない

ということになる。それをサポートするために、より上位の行動規範、目標が必要になり、それらはPDCAによって策定され、評価され、改善されていくという関係性が望ましいと私は考えている。

PDCAが古いって言っているSNSアカウントを見ていると。。。

個人の判断でできるスケール範囲の仕事ばかりだし、もっというと、一部はアレ、情報商材系とか、脱サラ起業系とか、そういう意識高い系ばかりで怪しい感じしますけど、大丈夫かしら。

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