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【ふなログ346】停滞期は反撃のチャンス。喜んでくれる人を思い浮かべよ


「この仕事を頑張ると誰が喜んでくれるのか?」

あまり「マンネリ」
という言葉は使いたくないのですが、

もし仕事で「マンネリ」を
感じてしまう状況になってしまった場合、
改めて、上記の問いに
向き合うタイミングだと思います。


「マンネリ」という言葉を使わないとすれば
「踊り場」という言葉も適切かもしれません。


昨日、

「『定型業務(ルーティンワーク)』
になってきたということは、
ある程度成長してきた、ということであり、
『次のステージを目指していいぞ』
ということ」


という内容を書きました。


ここで、
単なる「マンネリ」と捉えて
「飽きちゃったな〜」で
ダラダラ惰性で続けるのではなく、

「慣れてしまったのだから、何か足りない視点はないだろうか?」
とか
「そもそも、どういったことに喜びを感じるのだろうか?」
という問いを発してみて、

「新しい喜びを見つけるチャンス」
「ここから反撃のチャンス」
と捉えると良いのだと思います。


そんな時に
「この仕事を頑張ると誰が喜んでくれるのか?」
という問いが、
特にそのキッカケになります。


仕事というのは、
直接お客様と対峙しない場合であっても、

自分の仕事が
誰かのお役に立ったり
幸福感に結びつくからこそ、
それが対価を頂くことになる行為だからです。


「喜んでもらう」→「対価を頂く」

という流れとして、
お金を頂くことも重要ですが、
何よりも「存在を認められる」
という喜びにも繋がります。

仕事に喜びを見出せない時は、
その仕事に打ち込むことで
誰が喜んでくれるのか?
という想像力を失っていることが多い。

色々な理由もあるかもしれませんが、
「慣れ」によって喜びを失っているとすれば、
原点として「誰を喜ばせたいか?」
に向き合うことが大事です。


もしかすると、
今取り組んでいる仕事(作業も含む)が
「喜ばせたい誰か」
に向いていないことが分かってしまう可能性もあり、
その時は、
他のやり方で「喜ばせたい誰か」に向けようか?
となります。


私としても、
ITエンジニアのお仕事を始めてから20年以上経ちますが、
「いいんだろうか?この仕事で」
とぐねぐね悩んで燻っていた時期が続いていました。
いっそのこと、辞めてしまおうかと。

会社員として取り組んでいる今の仕事も
これは「世を忍ぶ仮の姿」で取り組んでいるから、
最低限の水準を保っていればいい・・
などという姿勢の時も、
実はありました。

しかし、
そのような姿勢で居る限り、
喜びも発見もなく、
ただ燻っている時間だけが過ぎていくだけなので、
「世を忍ぶ仮の姿」どころか、
燻っているその姿こそが「真の姿」・・
になってしまうのです。


もし「燻っているな」と
感じてしまう仕事に向き合っている時も、
一度「誰が喜んでくれるのか?」に向き合うと、

プラスαの取り組みをしたくなるし、
燻っている時に
感じなかったことを感じることもできるし、
色々気付くこともできる。

燻っていた時に見えなかった
「雑な仕事っぷり」も見えて、
改善して成長したい気持ちも
湧いてくるはずです。


「踊り場」に出て、
燻ってるなーと感じたら、
「この仕事で誰が喜んでくれるのか?」
に向き合って想像してみる。

当たり前のことですが、
そのことを
忘れてしまっている時が案外、
黄色信号、いや赤信号の可能性アリです。

そんな時は、
「喜んでもらっている人」を想像する。
それが「幸せの原点」だと思うのです。

停滞期を
退屈なままで堕ちるか
反撃のチャンスとするか?
は、すべて自分の捉え方次第。

私も自戒を込めて…
「誰に喜んでもらいたいのか?」
に向き合って
停滞期に対して
反撃を繰り出していきます。

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