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1/27 ファースト・カウ

犯罪をするバディ物って、ちょっと憧れがあるよね

どういう経緯でこういう映画が作られたか、あまり知らないのだが、ざっくり言うとそういう映画だ。
アメリカにおいて、開拓時代のアメリカンドリームは、何か華々しいイメージがある。あれこそがアメリカを作った源泉で、ある種のアントレプレナーで。あのマインドがアメリカをシェイプするような。イエーア。アーハン。ウィー、アー、ユーエスエー。オーライ???ガリッ。アイガリッ。
よりリアルなイメージはユーコン川の時の大泉さんが世界ふしぎ発見のミステリーハンターをやったときのような、あの船とかだろう。オ~レは村中で一番~、と言いながら、玉に虫除けスプレーを吹き掛けて、焼けるくらい熱くなって、川で玉洗いをしなくてはならなくなるような。アメリカの土着とは、そういうものだ。奴らは、まるでニューヨークあたりにいるアメリカ人こそが土着という面をして、アジア人は国に帰れと定期的に怒る。そういう彼らにとって西部開拓とは"Manifest Destiny"、すなわち必然であり、この土地こそはヨーロッパから来た"アメリカ人"のものであり、ゆえに輝かしいものでなくてはならない。ヨーロッパ人がそういうのである。それってアメリカ的ではないよね。
ファースト・カウという映画は、現代の犬連れたオバチャンが、森の中で2体の骨を見つけるところから始まる。その後は最後まで、開拓者の時代の映画となる。冒頭のワンシーンは、映画には何にも活きていない。ラストと繋がるとは言え、現代の人間が見つけたこと、は映画内では活きていない。浮いている。逆に言うと、ここは映画外に対して働きかけるシーンなのだろう。つまり、この話は現代アメリカの歴史的古層にあり、彼らのような排除されたヨーロッパ・ハイソサエティ出身の血統ではない人間こそがアメリカとも言える。
出てくるのは開拓者たちに虐げられた弱い白人と、強かな中国人だ。彼らが出会い、仲良くなり、アメリカで初めて貴族に連れて来られた乳牛を見て、中国人ビジネスマンと料理人が一旗あげるために奮闘する。
こいつらの関係性は、冒頭言った通り犯罪するバディものだ。偶然バッタリ出会い、いったん別れ、また偶然出会う。よう。飲み直さないか。それで徐々に似たような虐げられた境遇に感じ入り仲良くなっていく。え、少女漫画じゃん。交差点でバッタリぶつかった2人が、転校生を紹介する〜挨拶しろ〜、あー!さっきのあいつ!  そうして二人、でっかくなりたい中国人と、素朴な料理人が、目線も違いながら絶対に切れない紐帯となっていく。犯罪をしながら。
こういうの好きなの、女だよな〜。

わたいも、高校時代だったかな、BANANA FISHを読んだ。吉田秋生だと、吉祥天女、夜叉あたりは読んだし、オタクなんてものの文化に明るくなかったので、女オタクがワキャワキャするものだなんて知らなかった。知らずに、ヒュ〜、とか思いながら読んでいた。
ちょっと違うが、ファースト・カウから感じるのはBANANA FISHに胸を熱くするバディもの好き女子の薫りだ。真面目に論評をすると、ケリーライカートという監督は、アメリカのインディー映画シーンにおいて、漂流するアメリカというテーマを語ってきた女性監督で、云々云々、とあるらしい。知らん。

廣瀬純のポッドキャストを聴いたのだけど、この映画は「土」だという。真面目に言ったらたぶんそう。けど、その目線からは排除される、尊み、あると思うんだよね。排除された周縁の2人が、アメリカン・ドリームを夢見て、犯罪に至る。冒険も、サスペンスもない。しかし私にはその関係性の描かれ方の丁寧さ、が構造の単純さ、に見えてしまったところはややある。★3

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