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大きな第一歩の記録



一歳10ヶ月と6日。


オパ卒業の日の記録。
(検閲?対策で、息子の言い方を使って表現しています)


「好きなだけ飲んでいいよ」と言い続けるつもりだったけど、ここにきてあまりの頻回さと執着の強さにだんだんつらさがまさってきたのと、息子の様子を見ていてもなんとなくもう潮時だと思ったので、1週間前からカレンダーで説明することに。
夜泣き対応を見越して夫の仕事の都合優先で(笑)、Xデーを決めて毎日シールを貼っていくベーシックなシステムで挑戦。
どれくらい理解できるんだろうと思っていたけど、2日目には、カレンダーを指さして「オパ またね バイバーイ」と言うように。
でも前日までは、昼夜問わずいたって今までどおりのオパコールでした。



そして迎えた当日。

お風呂上がりを最後に、寝かしつけは夫に頼む予定。
お風呂前の授乳中、
「今まで毎日飲んでくれてありがとう」
「本当にしあわせな時間やったよ」
と伝えると、「へへっ」と笑って、「しゃーわせ」と真似してくれました。

そして、自分の大事なおもちゃやトミカ、お気に入りのカバンを運んでくるとわたしの胸に当てて、「パトカー、オパ!」「くまモン、オパ!」と順番に飲ませてくれました。
自分の好きなものを、大事なひとたちとシェアしたいなんて気持ち、いつのまに育ってたんやろね。
ポロポロ泣けてきたけど、カバンに授乳してる姿がさすがに我ながらシュールすぎて、涙も引っ込みました。


そうして風呂上がり。いつもなら一番ほしがるタイミングで、あれ? 一言も言わない。
着替え終わって、晩ご飯モリモリ食べる。
機嫌良く遊んでるうちに夫が帰ってきて、さあ寝かしつけとなってもスタスタ寝室へ入っていく。

こんなスムーズなことある?!


と拍子抜けしながら改めて見た時、息子がどこからか持ってきた家の鍵(旧式のTHE鍵タイプのやつ)を握ったまま寝ようとしてることに気付く。寝かしつけと言っても寝落ちするまで暴れ回るタイプなので、暗闇で振り回すとさすがに危ないと、「鍵は置いとこうね〜」と取り上げたのが運の尽き。

文字通り、この世の終わりのギャン泣きスタート!しかも母は退室して一緒に寝てくれないという悲劇。
それはそれは悲痛な「かか〜」の叫び声が小1時間続きました。
ただ、もらい泣きしそうなのをグッと堪えながらも、「かか〜」に混じって「かぎ〜」って何回か言ってたの、聞き逃してないぞ。


そんなこんなで初日は泣き疲れ寝落ち。

夜中は普段なら2〜3回はオパを求めて起きる息子。どうなるかとドキドキしながら部屋を分けて就寝。しばらく嵐の前の静けさが続いて、午前2時。
襖の向こうからこれまた悲痛なオパコールが聞こえてきた。
ここでこちらが折れては息子に申し訳ない。


でも、心が痛い、痛すぎる。


何度も寝室の襖に手をかけようとしては引っこめていたとき、何やら中でガサゴソ音が。

「気付いてなくてごめんなぁ」という夫の声と、バタバタする足音。

どうやら、いつのまにか💩していたらしい。ということは、夫が部屋から出てくる?あ、これわたしここにいたらヤバい?と思うと同時に開く襖。転がり出てくる息子。


その時の抱きついてきたあの強さ、これでもかというくらい手も足もお腹も顔もヒシッと密着させてきた感触は、忘れないだろうな。
「ごめんね」も違うよなと思いながら、「よくがんばってるね」とひたすら抱きしめる。


ここからまた離れて寝るのはさすがに不可能だと思い、3人で寝ることに。
でも当然、目の前にあるのに飲ませてもらえない苦痛は想像に難くない。
腹の底から搾り出すような嘆きがまたしばらく続き、耐えるしかないのかとこちらも苦しくなっていたが、何かのタイミングでふと、「救急車」だか「消防車」だか、おもちゃの名前を口にした。
「取りに行く?」と聞くと、いそいそとリビングへ。
するとおもちゃをしこたま抱えて寝室に戻り、ニコニコで遊び始める息子。


もしかして、自分で気を紛らそうとしてる?


それ以降は涙も見せず、ひたすら遊ぶ、遊ぶ。
1時間が経過した頃(午前4時)、だんだん横になり出したと思ったら、寝た。

親2人は完全に白目を剥いていたけれど、あまりの健気さにため息が出ました。



そして、朝。

寝起きも飲みたがってやはりぐずぐず。
でも、普段はあげないおやつやジュースやあの手この手で朝食までの間を繋いだら、朝ごはん食べる食べる。
そのままごまかし続けてなんとか保育園へ。
断乳中で寝不足の旨を先生にお伝えすると、「すっごいがんばったんやね〜!」と褒めてもらうと、満足気な様子(笑)


そんなこんなでどうにか終わった1日目。


正直、2日目以降もそれはそれは大波乱で。
ただ、2日目にしてオパ欲しさに泣くことはほぼなくなり、思い出したように(もはや口癖で勝手に出てくるかのように)求めることはあっても、もう存在意義はなくなってるんだなと。

その代わり、深夜の覚醒と母へのオーダーがどんどんエスカレートするようになりました。
深夜に抱っこスクワット40分×2とか(ごめんやけどわたしの体重のほぼ3分の1やぞ)、寝転んで半目で遊びを見守ってると髪の毛を引っ掴んで瞼をこじ開けて、「しゅわろ!」「おきて!」(=ちゃんと座って目を開けて遊びに付き合え)とか。
一説によると、断乳は「母に嫌われた」ように感じて、試し行動が増える子もいるとか。そんなことしなくてもこんなに愛してるのにね。笑


これだけでまたいくらでも書けそうなくらいネタがあるけれど、息子なりに必死に気を逸らして折り合いつけようとしてるのが伝わるのと、「僕はこんなにがんばってるんやから母もがんばれ」と言わんばかりの激しいオーダーに、とにかくこちらも腹を括って向き合ってる最中です。


知恵熱も続いてるし通常運転にはまだ程遠いけれど、オパの存在はほぼスルーになったので、もう卒業できたとしていいかなと5日目の今、これを書いています。
体感、人生で一番長い1週間になりそう。



生まれてから675日。
初期の頃は1日10回とか多いと15回とか。
10ヶ月までは外出先でもきっちり3時間ごと。本当に各地で(50ヶ所ぐらい?)授乳室を使ったけど、どこでもマイペースに飲んでくれて助かりました。

一歳になると日中は少し落ち着いたけど、
保育園に入ってまた一段と執着が増して、家にいると基本飲みっぱなし、一回1時間もザラ。
仕事復帰してからも毎日朝晩で4〜5回。
夜中はお腹の上に乗って、仰向けのわたしの上で飲みながら自分も仰向けに寝転がろうとしたり。(可動域どうなってるん?笑)



息子のオパ愛と、わたしの怠惰さ(引き離してギャン泣きされてまた機嫌取るのがめんどくさい)が相まって、それはそれは濃密なオパライフだったと思います。

出勤前に化粧しながら、
洗濯物直しながら(ベランダから取り入れたこともあったような?)、
お風呂では脱衣所から体洗って出て拭いて保湿して着替えるまでずっと、
ついにはトイレの中でまで(!)、
アクロバティックにしがみついて飲んでくれてありがとう。


「オパ 飲もか〜」となぜか京風に言いながら毎日毎日飲んで、心も体も丈夫に育ってくれて本当にありがとう。


飲まれなくなってみて改めて、オパに甘えていたのはわたしの方だったなと思い知らされました。
母体のホルモンバランス的にも出産に次ぐ一大事だとも聞くし、息子にとっても初めての自立の大きな一歩だと思います。
ある意味、わたしがいなくても命を繋げるようになったということ。
こんなに寂しくて誇らしいことはないよ。
でも、これを乗り越えられたら、ぐぐーんと大きくなれると確信しています。お互いね。


お酒はもともと飲まないし、カフェインや食事はまったく気にしていなかったので、卒業しても正直生活はそれほど変わらないのですが、とりあえず今は一人旅の計画を立てようとワクワクしているところです。


我が家に幸あれ!

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