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スラヴ叙事詩にみるミュシャのメッセージ①

先日、妹に誘われて母と京都文化博物館であったミュシャ展“みんなのミュシャ“へ行きました。

歴史が好きな私は、個人的にミュシャが社会主義国家出身のアーティストであることに凄く興味を覚えました。彼の作品の中でも桁違いのスケールで有名な「スラブ叙事詩」は彼の、心の内に秘める祖国と民族への想いとプライドを表現した人生の集大成です。

1プロローグ
アール・ヌーヴォーを代表する画家のアルフォンス・ミュシャ(現地読みではムハ)はモラヴィアに生まれ、当初はアカデミーへ通わず、独学で絵画を学んだ。後のパトロンとなるクーエンベラシ伯爵と出会い城内の絵画修復や制作が認められ、学費と生活費の援助を受け、プラハ、ウィーン、ミュンヘンを経て1888年、パリのアカデミーで勉強する幸運に恵まれる。しかし世紀末から20世紀初頭にかけてのパリではおよそ4000人のプロのアーティストがおり、ミュシャも当初はただの無名のチェコ出身のいちアーティストに過ぎなかった。

2パリ時代
1889年クーエンベラシ伯爵からの援助が突然打ち切られ、当時30歳だったミュシャは生活のために書籍や雑誌の挿絵や表紙を製作するようになる。細々暮らしていたある日、出入りしていた印刷所に女優のサラ・ベルナールから「ジスモダン」の宣伝用のポスターを依頼される。そのときはクリスマス休暇で他の画家が印刷所にはおらずたまたま居合わせたミュシャに依頼したが、完成されたポスターがパリ中に貼られると大きな反響をよび、以後6年間彼女の演目ポスターの専属契約が結ばれた。その後も次々と仕事が舞い込んでくるようになり、この女優サラ・ベルナールとの偶然の出会いがミュシャを一夜にして大スターにさせた。

続きは②
ミュシャ様式とスラブ叙事詩について

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