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お仕事小説【Y2K】あの頃のLAって

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2000年代(Y2K時代)、ロサンゼルスのダウンタウンのファッション業界で、必死にもがいていた時の話。学生時代から、起業して、ショールームをはじめ、事業転換するまで。約5年に渡る… もっと読む
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【Y2K】会社設立から虚勢を張ったその先にあったものは、、、

2005年7月。私は晴れて、米国法人を作り、ショールームを持ったことで「一国一城の主人」とな…

【Y2K】仕事における時給と昇給とやる気のバランス

晴れてFIDMを卒業した私。 学生時代の様子を生で綴った懐かしのブログはこちら↓ ユダヤ系米…

【Y2K】あらすじ

Y2K時代ど真ん中、東京からLAに移り住んだ私にとって、夢は自分のファッションブランドを持つ…

【Y2K】はじまりは2つのスーツケース

2003年9月。LAXに降り立った私には、興奮と不安が合わさった、なんとも言えない感情が渦巻いて…

【Y2K】夢と度胸とYahoo!Map

「えっ、いきなりハイウェイ乗らないといけないの。。。」 いよいよ始まったサンディエゴの語…

【Y2K】ファッション工科大学FIDMがくれたのは、人脈だった

私が留学先に選んだFashion Institute of Design and Merchandising、通称FIDMは、ロサンゼル…

【Y2K】ドロップ、リテイク、エクストラクレジット

前回、私が留学したFIDMで得たものが「人脈」だったと言う話しをした ところで、私はFIDMで米国の大学生になったこと知った仕組みがいくつかある。 一つ目は履修科目は「交渉できる」こと。 FIDMで、私が在籍したMerchandise Marketingのプロフェッショナルコースは、1ターム5〜6科目で、合計17科目取得で卒業できる仕組みになっていて、15クラスの専門課程を履修すれば良い形だった。 FIDMに入学して、最初のタームで、ELS(英語の補講クラス)を履修し

【Y2K】現場に出ろと言ってくれたアパレル社長マイケルに背中を押されて

あっという間の9ヶ月。FIDMでの生活も3Q(クオーター)目に入る頃にはすっかり慣れてきたと同時…