【エッセイ】「思い通りにいかない」ってやっと分かったんだ
吉本ばななさんの「キッチン」
という本をご存じの方は多いと思う。
あまりに有名なので
読まれたことがあるかたも
多いかもしれない。
「キッチン」は
私の大好きな書籍のうちの1つで
学生の頃に出会って以来
数年に1度、読み返している。
読み返すたびに
心に刺さる部分や
得られるメッセージが
変わるから
ひとつの本を
期間をあけて読み返すというのは
本当に楽しいし
学びのあることだと感じる。
先日、4年ぶりくらいに
「キッチン」を読み返してみた。
この4年のうちに
家を買い
息子が生まれ
脱サラした。
変化の多い4年だった。
そうすると、やはり
同書から得られたメッセージが
4年前とは明らかに違った。
新たな気付きと実感があった。
今日は、そのことについて
書こうと思う。
あまり外向きには話していない
4歳の息子のことも
書いてみたいと思う。
(以降、同書のネタバレも多少含まれます。)
4年ぶりに読み返して
特に印象に残ったフレーズを
引用したいと思う。
主人公・みかげが
仮住まいすることになった田辺家。
その家の「母」えり子さんの言葉だ。
このフレーズが
4年ぶりに読んで
強く印象に残った理由は
けっこう明白で
先にも書いたが
この4年のうちに
息子が生まれた。
そして
子育てと仕事の両立に
心底悩み
とことん考え抜いた末に
脱サラし、独立して今に至る。
これらを経験した今だから
このフレーズが、私にとって
強いメッセージ性を
帯びたの得たのかもしれない。
このフレーズを読んで
強く伝わったことは2つだ。
(1)なにかを育てることで、「人生が思い通りにいかない」ということを学べるのかもしれない
(2)限界の中にあるからこそ、「本当に失いたくないもの」が分かるのかもしれない
すこし漠然としているので
ひとつずつ丁寧に
言葉を紡ぎたいと思う。
まず(1)の方から。
(1)なにかを育てることで、「人生が思い通りにいかない」ということを学べるのかもしれない
子育てを日々する中で
やっと少しずつ
身をもって分かってきたのは
「子育ては
思い通りにいかないことが多い。
いや、多すぎる」
ということだ。
息子は発語がとても遅かった。
同年代の周りの子どもたちが
言葉を使って会話をする中
ひとり、身振りと喃語で
コミュニケーションをとる息子を見て
「大丈夫だろうか」と
心配でならなかった。
(今では流暢に話すようになった。)
また、息子は肌が強くなかった。
何度も皮膚科に通い
処方薬をほどこしても
良くならない日々が続いた。
(今では強い肌になった。)
発語と身体という
分かりやすい例えを出したけれど
ほかにも
ここには書き切れない
「思い通りにいかないこと」は
子育てしていると
日常茶飯事だ。
だからやっと
考え方を少しずつ
シフトできて来たように思う。
「また思い通りにいかないことが起きた」
と考えるのではなく
「今日も明日も、きっとまた
思い通りにいかないことが
起きるだろう。
だけど、なんとかなるし
なんとかする。」
「思い通りにいかない」
という前提で生きること。
そうすれば
目の前で起きる事象は同じでも
受けるストレスは
減らせられるかもしれない。
そういう考えに至ったのは
息子と日々向き合ってきた経験が
寄与しているのではないかと感じる。
えり子さんの言う
「本当にひとり立ちしたい人は、
なにかを育てるといいのよね。
子供とかさ、鉢植えとかね。」
という部分から
私は、このような考えを持つに至った。
続いて(2)について。
(2)限界の中にあるからこそ、「本当に失いたくないもの」が分かるのかもしれない
サラリーマン時代
仕事が忙しかった。
息子が寝た後に家に帰り
休日も仕事へ。
息子と過ごす時間は
ほんのわずかで
「息子ともっと向き合いたい」
という気持ちと
「仕事をもっと頑張りたい」
という気持ちの板挟みで
とても悩んでいた時期があった。
悩むだけで
状況を何も変えられず
悩み続け
不眠症にもなった。
「夜ってこんなに長いんだ」
と思ったことを覚えているし
3日ほど、ほとんど寝れないと
「こんなにも人って弱くなるんだ」
ということを
身をもって知った。
自分にとっての「限界」は
そこだったのだと思う。
その限界にあって
私は何度も何度も
自問自答をした。
「私は何のために働くのか?」
「自分がいま本当に
ほしいもの(失いたくないもの)は
何だ?」
と。
そして
くり返し問い続けて
迷いなく
こう答えられるようになった。
ここから先は
¥ 500
サポートありがとうございます! いただいたサポートは、他のnoterさんへと恩返しさせていただきます^^ サポートの輪が広がりますように!