人生は許せるかどうかのせめぎ合いという話。
のっけから「人生」とかデッカイ風呂敷広げちゃいましたけど。
結局そういうもんなんじゃないかと思います。
「許す」か、「許さない」か。
対人関係はもちろんそうですけど、それ以外のあらゆる選択がその側面を持っているような気がします。
たとえば、誰かに言われた面倒くさいことも、それに従うのか抗うのか。最終的に決めるのは自分であって。そして「面倒だなぁ」と思うということはそれに従いたくない気持ちがあるわけで、それは自分の中で「許したくない」気持ちがあるということ。
他にも「こういう仕事をやってくれ」と依頼があった時も、「嫌だなぁ」と思った瞬間、ちょっと葛藤があるわけですよね。やりたくねぇなぁって。その嫌だと思う状況を許せるか否か。「まぁ仕方ないから、やるか」と腹を括れば「許す」ということだと思います。
「こんなことがしたいんだけど」「ここに行きたいんだけど」「悪いんだけどこれお願いできる?」そういうあらゆる課題と言いますか降りかかってくる面倒ごとに対して、「許す」か「許さない」か決めること。
さらにその面倒ごとは、誰か自分以外の他人が絡んできたときだけとは限らず、自分の精神面だったり身体面、病気や災難など、いろんな問題が起こってきたりするわけです。それに対して「許す」か「許さない」か。生きることは、その連続だと思います。
もっと言ってしまえば、「許す」「許さない」をバッサリ白黒に分けられることばかりでもなくて。「許す」ならどの程度許すのか。相手の主張を丸ごと飲むのか、一部を譲歩して一部は抗うのか。許すと言っても「許したくはないんだけど一部は許す」みたいなこともあったりするわけです。その微妙な調整もあるんですよね。さじ加減といいますか。
もうとにかく面倒ですけど、「許す」か「許さない」か最終的には自分で決めるわけです。
実際、その選択は、何も覚悟を伴うものである必要も無くて。「まぁいいか」と全部受け入れて許しちゃうのもアリ。逆に「いいや俺にとってコレは絶対譲れない」と全面的に争う選択肢をとって許さないのも一つ。なんかモヤモヤするし納得いかないから、なんとなく受け入れられないな、って思って許さないこともあるし。
私はそうなんですけど、つい色々なことを気にしちゃって、なかなかどうするかを決められない(あるいは決めたことに対してウダウダ思い返して悩んでしまう)というようなこともあります。
ただ、この頃は「なんで許せないんだろう」と思うことは大事かもしれないと思います。
きっとその気持ちに至るまでの何処かに、ちょっとしたトゲがあるような気もします。
そういった雑音みたいなのを消してフラットな心で考えられればいいんですけど、あいにく、私はそこまで聖人君子ではないんですよね。
ですから、出来ること言えば、最悪の事態とか逃げ道をしっかり考えておいて、それで後々もっと面倒なことにならないような選択肢をとる。そうして、どうしても納得いかなくても「許さざるを得ない」状況なのであれば、気分転換とか他所に目を向けて、「まぁいいか」と思えるように心を落ち着けることくらいです。
うーん。実は今朝面倒なことを言われてイラっと来てたんですけど、こうして文章にすると少し気持ちは収まってきました。まぁ正論ではあるよなって。それを許すか否かはまぁ私自身ですけど、心を落ち着けるのも私自身。
この辺り、やはり変なプライドが邪魔してる感じはあります。それをいかに取り除くか。取り除くのが難しいにしても、いかに鎮静化させるか。その辺が今の自分の精神衛生上で対応すべき課題のような気がします。おしまい。
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