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散文集 2024年2月

各所で書いた散文をまとめました。


冬は死の季節、春は生の季節。こんなにも雪が憎いのに、解けてゆく姿をみるのかかなしい。春はぼくから死を奪ってゆく。静寂の思惟を堪能していたぼくをひかり降り注ぐ世界に突き出してしまう。ぼくは再び綴りはじめる。あたたかかった冬の記憶をどうしても失いたくない。
2月19日 

湯船から冬が溢れてゆく。それは大切な記憶であるはずなのにぼくは掬おうともしない。溢れ出た冬と同じ体積のぼくが湯船の中にある。そこに新しい季節の記憶が宿るはずだ。だけどどうしても消えない記憶もある。ぼく自身の連続性はぼくを苦しめる。いつか水蒸気になれることを信じている。
2月20日

それまで出来ていたことが出来なくなるのは寂しい。でも本当に寂しいのは出来なくなったことすら忘れてしまうことだ。ひとはもともと星と会話することができるのに、ほとんどのひとは物心つく前にその能力も記憶も失ってしまう。そしてなぜそうするのかわからないまま夜空を見上げているのだ。
2月20日

こころにぽっかり大きな穴があいた。空白は可能性の拠り所ではあるけれど、その穴を埋めるものが何でも良いわけではない。たいせつなものに合うようにこころをかたち造っていたのだから。それでも冬になり雪が積もれば穴が埋まった心持ちになっていた。それで良かったのに。もうすぐ春が来る。
2月21日

流氷が北へ帰り始めた。明けた海は日に照らされ踊っているようにみえる。流氷の後姿は新しい季節の到来を際立たせている。ぼくは新しい季節に浮かれて踊るような気にはなれない。かといっていつまでも冬が続いて欲しいわけでもない。ぼくの中にある消えてしまいそうな何かを失いたくないだけなのだ。
2月23日

ただ傍観者で在りたかった。でもあの秋のうららかな日にぼくは灯台に憧れてしまった。灯台は自身の存在を誰かに伝えようとする使命がある。今だってぼくは世界から忘れられたいけど、もう傍観者にはなれない。灯台のように生きていくことにしたから。気づいてくれるひとがいてもいなくても、灯し続けるんだ。
2月24日

夜汽車のひとは過去をみている。鉄道はタイムスリップしやすい乗物といえる。しあわせな気分を噛み締めた日。せつなさに押しつぶされそうだった日。線路が鳴るたび感情が呼び起こされる。月のあかりに照らされて、あの日みた景色の中のぼくは、それでも過去を書き換えることができないでいる。
2月25日

少子化は喫緊の課題らしい。でもその原因がコウノトリの減少によるものと主張する識者はいない。絶滅危惧種だというのに。ヒトもコウノトリも、生まれてみたいと思ってもらえる世界を創ることが必要だ。だからぼくは、雪がとける前の畑に星の鱗粉を蒔いておいた。もうすぐ世界は眩しくなる。
2月26日

月に降りた探査機は、そこが月であることにいつ気づくだろう。聞き馴染んだコマンドを慣れた手順で実行する。自分の置かれた環境が大きく変化したことにも気づかないまま、ただそれだけを繰り返す。いつか孤独に気づいてしまった時、探査機として生きた意味を知る。もう戻れないことを知る。
2月27日

飛行機に乗ると魂が抜けることがある。高度一万メートルで身体から抜け出た魂はどこへ行くのだろう。多くは雲となり、やはり地上が恋しくて雨雪と一緒に降りてくるらしい。一方、冒険好きな魂は成層圏を目指す。藍色の空に惹かれるひとは、預けた魂が懐かしくなって見上げ続けてしまうのだ。
2月28日

惑星の仲間から外されたことを冥王星は知らない。惑星として扱われた時間は百年に満たず公転軌道を一周する間もなかった。惑星だった記憶もほとんどないだろう。そんなことは冥王星にとってどうでもいいことだ。太陽がやっと届く場所で冷え切った身体を走らせる。肩書に惑わされたりしない。
2月29日

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