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春囲炉裏

 カレン族の村に行こうと誘われたのは、2月22日、出発前日の夕方だった。 ちょうど涼しい寒期が終わったころで、チェンマイの街は日に日に暑くなってきていたが、標高1000メートル近い山岳地帯にある村は、タイとはいえ朝晩は冷え込む。片づけたばかりの冬用の長袖シャツをひっぱり出し、慌てて荷物をまとめ、お土産などを準備していたら、あっという間に出発の時間になった。

 その村には電気は通っておらず、夜間の照明や携帯電話の充電などの最低限の電力は、家庭ごとに取り付けられた小さな太陽光パネルでまかなっていた。それが今回行ってみると、電気よりも先にWi-Fiが通り、いつでもネットに繋がるようになっていて驚いた。

 村に住む結婚適齢期を若干逃してしまったかなという年頃の男性が、早速、ティックトックやフェイスブックでお気に入りのカレンの女の子の投稿をチェックしまくっていて、ほら可愛いだろう? と無邪気に携帯画面を見せてくれた。彼は働き者で几帳面、やさしくて性格も悪くないけど、この調子だとなあ。。と、勝手に心配になる。

 その翌日のこと。 泊めてもらっている家のご家族と、夕食のあと、いつものように囲炉裏を囲んだ。パチパチと炭のはぜる音はいつ聞いても落ち着く。水浴びで冷たくなった手や足先が温もってくる。
    村近くの森に茶畑がある。どの木も背が高く伸びているからお茶の林といった方が近いかもしれない。そこで採れた茶葉を、家のお母さんが囲炉裏で炙って煎じてくれた。私たちが来ていることを知っている他の家の人たちも、ひとり、ふたりとつぎつぎと団らんに集まってきた。 カレン語はぜんぜん分からないが、村の人たちの楽しそうに話す顔を見ながらお茶を飲んでいたら、先の友人がやってきた。昨夜は一睡もできなかった、と言う。
  また、ティックトック?と冷やかすと、普段の彼とは違う深刻な様子で、「ロシアがウクライナを攻撃したんだ」と言う。確か、前日までのニュースではロシアの攻撃はないだろう、という意見が多かったはずだが…。
   あんな大国が小さな国と戦争するなんて、間違っている ! と、彼は真剣に怒っていた。

 私が知り合ったカレンの人には繊細な人が多い。それは、森の中の些細な変化に気づく注意深さがあり、感性が街で暮らす私たちよりも研ぎ澄まされているからだろうと思っていた。しかもカレンの人たち(他の山地民の多くも)は政府の森林保護を名目とした政策で、古くから住んでいる森を追われることもあり、タイの中では弱い立場にある。小さな国の人たちのいつもの暮らしが奪われていることに痛みと怒りを持って共感し、ひたすら話し続けている友人にかける言葉も見つからず、ただ見守るばかりだった。
  しばらくして、家のお父さんが今しがた仕留めた大きな栗鼠を囲炉裏で焙り、獣臭い煙が立ち始めると、団らんはお開きになった。

 
                             ***


     句会のお題で、「遊」の文字が出された。「遊牧民」と言えば.......と、大学時代に出会ったモンゴルからの留学生のことを思い出した。
    一緒に鍋を作って食べながら、彼女は子供の頃に医者の父親と一緒に馬に乗って、丘や川を越えて往診に出かけていたモンゴルの暮らしについて話してくれた。今頃、彼女はどうしているだろうか。まだ馬に乗っているだろうか。


草原の春駆る遊牧民の医師

春の風邪と言い張る春の夢のなか

斑雪野を履帯の轍石棺へ

茶葉を煎り獣を炙り春囲炉裏




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