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わたしの石


 子供時代を過ごしたアパートは4階建ての古い鉄筋コンクリート製で、当時ですでに築40年は経っていて、雨が降れば、建物全体がむっと湿っぽく匂った。
 4棟が集まる団地の敷地は決して広くはなかったが、それこそ猫の額ほどの花壇にも植物好きの住人が丹精した季節ごとの花が咲き、やはり花が好きだった祖母との散歩のたびに目を楽しませてくれた。  
 春ほどの華やかさはないが、秋になればコスモスが風に揺れ、紫式部がこぼれんばかりに実をつけ、ほととぎすがひっそりと花を咲かせた。4棟の中心には大きないちょうの木が植わっていて、金色の葉を一面に降らせた。

   そして、その地面には、子供の手のひらほどの川石が敷き詰められていた。今はあまり見かけない、砂利よりもっと大きな角のない石で、そのせいで子供の足には歩きにくかった。石車に乗る、という言葉を、団地の敷地を散歩している途中で川石に足を取られてバランスを崩した時に、祖母から教わった。

 小学校に上がったばかりの秋のころだ。私は団地に敷き詰められた石の中から、できるだけ丸くて平らな、そして表面の白いすべすべした石を七つか八つ拾って家に持ち帰った。そして、ひとつひとつに丁寧に色を塗った。
 色を塗るといっても、持っている道具はせいぜいクレヨンがいいところだ。いとこのお下がりの大きなクッキー缶に入った、どれも指先ほどしかない短いクレヨンを出してきて、石の表面にごしごしと塗り込んだ。すぐに妹も私の真似をして塗り始めた。水玉模様やストライプ、星や花や家などの絵も描いた。同じものはひとつもなかった。
 カラフルな石をしばらく眺めて満足すると、袋に入れ、妹と外に出た。誰にも見られていないのを確認して、団地の周りに敷き詰められた川石に紛れるように、ひとつずつ石を置いていった。かたまって置けば目立つので、ほどよく間をとるよう十分に気を付けた。茶色やグレーの石ころに交じったその石は、すぐさま周りに馴染むようでいて、置かれた場所で光を放っているようにも感じられた。きっと誰かがこの石に気づいて喜んでくれるに違いない。そう思うとわくわくした。

 それから、祖母の買い物に付き添ってスーパーにでかけた。帰るころには陽が傾き、ひんやりとした空気のなかに、近所の生垣の銀木犀の花の香りが漂っていた。祖母としばらく香りの中に立ち止まって、隠れるように咲いた小さな花を眺めた。

 まだ外灯が灯る前に団地に戻ってきた。
 「おねえちゃん、石がないよ」
と、先に気付いた妹が言った。私は祖母の買い物袋を持ったまま、石を探して回ったが、確かになかった。あそこに置いた石も向こうに置いた石も、ひとつもなかった。

 団地の入り口で、わたる君のお母さんがおばさんたちと立ち話をしていた。わたる君は、私と同じくらいの年頃で、メガネをかけたおとなしい男の子だった。団地には時々親戚を訪ねて来るくらいで、住んでいる家は別にあるらしく、普段はほとんど見かけなかった。名前は知っていたけれど、一緒に遊んだことがないので、私にとって団地の友達ではなく、「よその子」だった。
 お母さんの後ろに隠れるようにして立っているわたる君は、重そうに垂れ下がった黄色い虫取り網を持っていた。私の目は、その網にくぎ付けになった。わたる君は片手で網の竿を、そしてもう片方の手で網の口をぎゅっと握りしめている。その中に、確かに私たちが色を塗った七つか八つほどの石が入っていたのだ。
 私の石、返して。
    思わずそう言いそうになったが、そういう訳にもいかず、私はわたる君をじっと睨んだ。いつも一緒に遊んでいる団地の幼馴染ではなく、野球やドッチボールに混ぜてくれるやさしいお兄ちゃんやお姉ちゃんでもなく、わたる君かあ…。私は心の底からがっかりした。   
 その後もわたる君と遊ぶ機会は訪れず、その石について話す機会は巡ってこなかった。 

    チェンマイの家の玄関先に植えた銀木犀に似た花が、今年はやけにたくさん咲いた。その香りのせいだろうか、そんな昔のことを急に思い出したのだった。
  それにしても、この思い出が40年も前のことだということに私は軽いショックを受けた。同時に、そんなに経った今でも、子供のころの感覚が色褪せることなく心に残っていることが、我ながらおかしかった。
 あの日、わたる君は虫ではなく、カラフルな色のついた不思議な石をひとつ、団地の川石の中に見つけた。ふたつめを見つけて、ここにもある、あそこにもある、と、その後は夢中で探したはずだ。それは、私が撒いた「わくわく」する気持ちをわたる君が受け取ってくれたということで、それなら、幼い私の企みは大成功だったのではないかと、今ではそう思っている。

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