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堕落のむこうがわ

坂口安吾の「堕落論」と「続堕落論」を読んだ。

全集なので他にも「日本文化私観」や「風と光と二十の私と」など全部で十四編が収録されているのだが、今回の感想はとりあえず堕落論について。

「堕落論」も「続堕落論」も数年前に一度読んでいる。新潮文庫版で購入した覚えはあるのだが今は手元にないし、内容も感想もまったく記憶に残っていない。

当時読んでいた三上延のビブリア古書堂シリーズのどれかに坂口安吾の名前が出てきて、どれ一つ読んでみようと思ったのがきっかけだったと思う。当時の自分には内容がまったく響かず、だから記憶に残らなかったのだろう。どんな名作であろうとも、接するタイミングを間違えるとまったく響かないことは多々ある。

今回はよく響いた。響き渡った。ものすごく切れ味の良いエッセイだ。終戦から一年足らずであの内容を発表できるのかと驚いてしまうくらい、言論の自由を謳歌しているような作品だった。


眞子さんと小室さんの件でごたついている時なので、天皇制という制度についての話は興味深く読めた。

日本の歴史をかえりみた時、天皇という存在に本当の意味での尊厳があったことは一度もない。天皇というのは政治家にとっては能動的な意味での道具であり、庶民にとっては受動的な意味での道具であった。そんな内容。

日本の政治家達(貴族や武士)は自己の永遠の隆盛(それは永遠ではなかったが、彼らは永遠を夢みたであろう)を約束する手段として絶対君主の必要を嗅ぎつけていた。【堕落論】
天皇制というものは日本歴史を貫く一つの制度ではあったけれども、天皇の尊厳というものは常に利用者の道具にすぎず、真に存在したためしはなかった。【続堕落論】
たえがたきを忍び、忍びがたきを忍んで、朕の命令に服してくれという。すると国民は泣いて、外ならぬ陛下の命令だから、忍びがたいけれども忍んで負けよう、と言う。嘘をつけ! 嘘をつけ! 嘘をつけ!【続堕落論】
我等国民は戦争をやめたくて仕方がなかったのではないか。竹槍をしごいて戦車に立ちむかい、土人形のごとくにバタバタ死ぬのが厭でたまらなかったのではないか。戦争の終ることを最も切に欲していた。そのくせ、それが言えないのだ。【続堕落論】

コテンラジオの天皇制の回でも同じようなことが話されていたので、歴史上の共通認識ということだろう。


「堕落」という言葉を国語辞典で調べてみた。

新明解国語辞典 第八版より

1〔仏教で〕仏に仕える、ひたむきな心を失って、俗人と同じような、欲に満ちた生活をすること。2生活の規律を乱し、品性が卑しくなること。

「規律を乱し、」「欲に満ちた生活をすること」

堕落論よりも続堕落論のほうでより明確に述べられている。

人間の、また人性の正しい姿とは何ぞや。欲するところを素直に欲し、厭な物を厭だと言う、要はただそれだけのことだ。

武士道や天皇制などの規律から解放されて、己の欲するままに生きよということだ。

堕落という言葉を辞書でちゃんと調べたことなどなかったので、「無気力」という意味合いも含まれているものと思い込んでいたが違った。欲と無気力は対極にある概念だ。


人生という限られた時間のなかで、自分の好きなように、自由にやってみる期間というのは必要だと思う。敷かれたレールをはずれてみて、初めて見える景色がある。

見えた景色を美しいと思ったならば、そのままレールの外側を行きたい方向へ走り続ければいい。見えた景色がつまらなかったり恐ろしいものだったりしたら、しれっとレールに戻ればいいだけだ。


自由な社会というのは、人生の選択肢がたくさんある社会のことだと思っている。

夫婦別姓にしても、同性婚にしても、それらを許容することは人生の選択肢を増やすことに繋がる。たとえ少数派であっても、選択肢が増えることで、幸せになる人が確実に増える。なぜ根強い反対意見があるのか、いまいち理解できない。

家族の絆なんて、姓が同じだろうが、異性婚だろうが、壊れるときには壊れるものだ。壊れたまま生活している家族はごまんといるだろう。そんな個別的で曖昧なものに政治は立ち入るべきではない。

明らかに誰かの権利を侵害するものでない限り、選択肢は多いほうがいいと思うのだが、どうなのだろう。





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