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さよならなんかは言わせない

皆さんお久しぶりです。

お久しぶり過ぎかもしれません。

なんと1年6か月ぶりの更新になってしまいました。

FightingNexusタイトルマッチの時以来の更新です。

Twitterを見ていてくださる方は私の動向はご存知かと思いますが結婚したり独立して自分のジムを出したり人生の岐路となるような大きな出来事がたくさんありました。

そんなネタがありながらNOTEの更新はしていなかったのになぜ今更更新したかと言いますと、特別なことがあったわけではなく今日クラスを指導しながらふと昔のことを思い出したので気の向くままに書いてみようと思います。

きっかけはとあるニュース。

「B’zサブスク解禁」。ほうそうかついに。

それじゃあせっかくだしB’zのプレイリストを作ってみようと昔の曲から最近の曲まで25曲ほど選曲してプレイリストを作ってみました。

そしてプレイリストを今日ジムでかけていたのですがある曲を聴いて昔、ご存じの方はご存じ私がとある矯正施設にいたことを思い出しました。

三重県のとある施設。

それは3年半の拘禁生活もそろそろ終わりが見えてきたかという頃。

担当のオヤジ(施設職員)に呼び出されこう言われました。

「364番。明日から釈前や」

釈前とは出所の近い者が移動される舎房で、ここに移動イコールほぼ出所は2週間後に確定となる。

キタァァァァァァァ

「明日から釈前」この言葉を聞くためだけに地獄のような3年半を頑張ってきた。それがついに明日となったのだ。

わたしはすぐに仲の良い同囚達のもとへ行きそれを伝えた。

みんな自分のことのように喜んでくれた。まだ自分の刑期が何年も残っているのに。それと同時に寂しい気持ちも生まれてくる。

出所という唯一の同じ目標に向かって苦しい時も悔しい時も歯を食いしばって頑張ってきた仲間だった。

我々の工場のリーダー格だった男がオヤジのもとへいき、ある提案をした。

「最後の一晩だけ仲のいいメンツとヒロトを同じ部屋にしてほしい」

今思ってもなかなか無茶なお願いだったと思う。そんな個人的なわがままが許されるような甘い場所ではない。しかし当時の担当のオヤジはそれを許可してくれた。私もそのリーダー格の男も大きな問題も起こさず工場のまとめ役として長年務めてきた。その功績が買われたのかもしれないしオヤジの気まぐれだったのかもしれない。全く感情の読めない男だったのでどうして許してくれたのかは今もわからない。とにかく仲の良かった10名ほどが同じ部屋で私との最後の一晩を共に過ごすことになった。

その夜は一睡もせず今までのことを語り合った。これからのことも語り合った。ここから出たらこんなことがしたい。こんな夢がある。そんなことを取りとめもなく語り続けた。

そろそろ夜も明けようかという頃、一人の男が歌を歌いだした。

それがB’zの「さよならなんかは言わせない」だった。

真っ暗だからお互いの顔なんか見えないけど多分泣いていた者もいたと思う。

私も泣いた。出れるのは嬉しいけどこの時自分は30歳。この先人生がどうなってしまうのか、そんな不安でいっぱいだった。このまま気の合うこいつらとずっとここにいてもいいかななんて気持ちもちょっと過った。

有名な曲だからみんな知っていたのでみんなで歌った。

「やかましい!早く寝ろ!」

見回りのオヤジの注意は入るが明日には釈前にいってしまう私の最後の夜である事はオヤジも知っていたので本気で懲罰にするつもりはない。

職員と収容者の間にもよくわからない情はあったりした。

そして時は流れ巡り巡り、今私は格闘技ジムの代表をしている。

今日クラスで「さよならなんかは言わせない」がかかった。

指導をしながらふとあの日の夜のことを思い出した。

30歳で何もかも失った状態で社会に放り出されどうやって生きていけばいいのか路頭に迷っていたが、今私は家庭を持ち格闘技のプロとして活動し自分のジムを経営して、たくさんの会員さんに囲まれて幸せこの上ない日々を過ごしている。

人間腹をくくれば大抵のことは何とかなるものだ。

あいつらはどうしているだろう。
きっと街ですれ違っても気づくことはない。

もう一生人生が交わることもないだろう。

でも幸せにやっていてくれればいいなと思う。

「昔のことだけ輝いてる そんなクラい毎日は過ごしたくない」



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