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「光と影」

人生とは何があるかわからない。
しかし、だからこそ面白い。

ただ女のケツばかり追いかけていた10代、薬物中毒からの投獄の20代、そして人生の再起をかけて格闘技を始めた31歳の頃でさえ、今の未来は予想できていなかったと思う。
私が格闘技を始めた頃はどの会員さんにも歯が立たず、アマチュアとはいえ試合に出てるレベルの選手は本当にすごいな、強いんだなと思っていた。
そして「プロ」になるともう雲の上の存在だった。私が一番初めに入門した水戸市のR-BLOODには当時3人のプロがいたが3人ともDEEP本戦選手で、この人達には一生かかっても追いつけないんだろうなと思うほど圧倒的に強かった。R-BLOODで一年ちょっとの修行を積んで今のパラエストラ八王子に入門して、そこで柔術に出会った。パラ8の選手達の寝技のレベルに驚いた。私も水戸で経験もあったしそこそこの自信を持っていたが、当時のパラ8の中では白帯の中くらいより少し下という感じだった。青帯はもう手がつけられないし、紫帯から上は神様のようだった。どう暴れてもたった五分のスパーで5回も6回も7回も極められてしまうのだった。MMAのプロには錚々たるメンツが揃っていた。金原さんと鹿又さんをツートップにまだ若手であった徳留、番長(若手とはいえパンクラスで徳留は破竹の連勝中、番長は初参戦で現修斗ライト級チャンピオンの松本選手に勝ち、当時のチャンピオンの大石選手とドロー。既にスターだった)。(松本)タカトシやクリス(当時はまだ平山敬悟)や萩原君、プロ昇格する直前だった小宮君も自分には雲の上の存在で手も足も出なかった。

私は格闘技を始めた時に一つの目標を立てた。「MMAのプロ選手になる」だ。そしてパラ8に入った時にひそかにもう一つ「紫帯を取る」という目標を立てた。紫帯という目標は実は誰にも話しておらず自分の中でだけ決めた目標だったので昇格した時は感無量だった。昇格の挨拶をみんなの前でした時に泣きそうになったのは多分誰にもバレてない(バレてた?)

トップの選手から見れば小さな目標なのかもしれない。「MMAのプロ」も「柔術紫帯」もハードルが低いと思われるのかもしれない。けど若い頃の自分から考えたらこの二つの目標を31歳から始めて達成するのはとても険しい道であった。

けれどどちらも達成する事ができた。

この二つのライセンスは自分の宝物だ。こんな物が宝物だなんてハードル低いなってトップの人からしたら思うかもしれない。しかし夢や宝物はその人にとっては尊いものであっても他人からしたらガラクタに見えたりするものだ。自分には上出来だった。あの咲間ヒロトが格闘家でプロ?柔術紫帯?
昔の自分を知ってる仲間ならみんな信じられないというリアクションだろう。やってやれないことなんてない。人間その気になれば何歳からだってやり直せるしどんな事にだって挑戦できる。それを証明したくて頑張ってきた。それでも前のNOTEでは「今からチャンピオンになるとかそういうのは無理だけど」という表現をした。どんな事だってやってやれない事はないんだと言い続けてきた自分が自然と限界を決めてしまっていた。無理じゃなかった。チャンピオンになるチャンスがやってきたのだ。

パラ8に入って毎日死ぬ気で練習してついにプロ昇格を果たした後、勝ったり負けたりであったけど試合内容が評価されてDEEP67大会で本戦に上がる事が出来た。試合には僅差で負けたが元谷選手、今成さん、前田吉朗選手、越智晴雄選手、中村K太郎選手という一流選手達も出場していた大会で我々の試合がベストバウトに選ばれた。

そしてついには大晦日さいたまスーパーアリーナの舞台にも立つ事が出来た。しかしそこで初のKO負け。半年ほどブランクを開けて復帰するも一本負け。その後も一本負け。初の3連敗。全てフェニッシュされている。そこへ今も完治していない食堂裂孔ヘルニアという病にかかり競技もままならない状態になってしまった。ここまでかなと思った。多分周りも不良先輩は大晦日がピークって思ってたと思う。実は自分もずっと大晦日に出た時の自分より落ちているというコンプレックスに数年悩まされていた。3連敗して表舞台から消えた人間。そう思われていたと思う。

しかし私は結局諦められなかった。格闘技を諦められなかった事も原因の一つとして離婚もした。誰よりも家庭に憧れて誰よりもそれが遠く感じる。それは今も同じかもしれない。

試合には出れなかったけど練習の頻度は変わらず柔術の比重を重めに3年ほど修行した。そしてアマチュアクインテットでの5人抜きを達成して2つ目の目標であった紫帯昇格。
このまま黒帯まで突き進もうと思っていた時にお世話になっている超人クラブの代表内藤さんから今年4月の八王子大会でのメインの話を頂く。内藤さんからは毎年のようにオファーを受けていたのだがやはり病気の事もあって試合ができるような状態ではなくお断りし続けていたのだが、一度くらいメインで試合をして勝って終わりたいという思いもありオファーを受けた。この時作成して頂いた煽りVは自分の半生を描いた内容となった。煽りVでは異例の20分以上の大作だ。映像作家の吉田さんに感謝。
https://youtu.be/uZUItu2MjGM
そこで一本勝ち。これで禊を落とせたかなという思いだった。
ところがそこからFighting Nexusからタイトルマッチ挑戦者決定戦のオファーが来る。7月14日に行われたその挑戦者決定戦を勝利し、今タイトルマッチを数日後に控えている。自分の人生もまあ山あり谷ありだとは思うが格闘人生もかなりの山あり谷ありだと思う。大晦日の後3連敗した時はもういいかなという気持ちだったのにそこからタイトルマッチまで漕ぎつけられるなんてね。

7月にタイトルマッチ挑戦権を得た後の格闘技に取り組む姿勢が今までとさらに変わった。今までも試合があるなしに関わらず同じ頻度で練習はしていたがやはりタイトルという目標が出来るとさらに練習の集中力や質も上がってきた。そしてこの4ヶ月やって来てついに今、「大晦日の自分より今の自分の方が強い」と自信を持って言えるようになった。不良先輩41歳にして間違いなく今が一番強いです。どこも悪いところはないし体調もバッチリです。何の言い訳もできません。もう負ける理由が見当たらないというくらいの自信を持てました。ここまで来れた事にチームメイトのみんなやゴーゾー館長には感謝です。この気持ちをベルトという形で返したい。

そして昔はただのあだ名だった「先輩」も今や本来の意味での先輩として後輩から呼ばれている。いつまでも若手だと思っていたらいつの間にかベテラン側にいるのかもしれない。そう考えたら後輩達に何か一つでも感じ取ってもらえるような試合にしたい。私は格闘家として後輩達に何かを与える事は出来ていなかったと思うけど、一人の男として彼らの心に残る試合をしたいと思う。

いろんな想いがある。人生は思い通りにいかない事の方が多い。
悔しい事もあるし悲しい事もある。取り返しのつかない事もある。失ったものにいくら想いを巡らせても戻る事はできない。
それならいっそもうやり尽くした感もあるし人生この辺でって想いもある。けどそういう想いも11月24日にぶつけて乗り越えれば何かが変わるような気がしている。
11月25日から先の自分がどうなるかはわからないけど、11月24日を全身全霊かけて乗り越える事が出来れば、自分の人生は11月25日以降も楽しく続いていくのかな、なんて。

そして色んな想いがあるのは相手も同じである。
格闘技は奪い合いだ。負ければ全て奪われる。非情で残酷で、でも美しい。そこに惹かれる。

僕らの人生の奪い合いをぜひ皆さんに見て頂きたい。
一人の男と男が人生の全てをかけて金網の中で戦う事の非情さと残酷さと美しさを感じてください。
彼は光、私は影。その対比も楽しんでください。

https://youtu.be/0VZarVN9PL8

試合は人生の表現だ。入場から試合から退場まで目に焼き付けてください。僕の人生を表現したいと思います。

全部ひっくり返してやる。この試合にかける想いは自分の方が絶対に重い。今までも舐めてる奴は全員ぶっ殺すの気持ちでやって来たんだ。孤独は人を強くする。

人生は何があるかわからない。
しかし、だからこそ面白い。

さあ行こうか。

今後の活動の糧とさせて頂きます。よろしくお願いします。