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「一緒に楽しめる人」になりたい

夫の長所は?ともし聞かれたら、「美味しそうにごはんを食べること」と答えたら彼に失礼だろうか。

テーブルに食事の準備がされるや否や、いち早く椅子に座り、他の家族も座るように急かす。そして、いただきますが終わると「おいしい、おいしい」と言いながら誰よりも早く、そして誰よりもたくさん食べるのだ。
それなのに、喋る口も決して止まることなく、家族に話題と笑いを提供してくれるのも大抵夫なのだった。

そんな夫が共に食事の席にいるときは、3歳になる娘もよくごはんを食べる。
普段はどちらかというと少食で、自分が好きなものだけ食べてはすぐに席を立ってしまう彼女も、楽しそうに食べる夫の横では、場の雰囲気に流されるように箸が進むのだった。

あるいはまた、娘は夫が作った料理もよく食べる。
最近だと、野菜たっぷりのミネストローネ、初めて生魚を食べた海鮮丼、オムライス、それから定番のおにぎり…。
もちろん全てが大好評というわけにはいかないけれど、夫の手料理は目新しいものが多い割には娘もよく食べている。

なぜ夫の手料理はよく食べるのだろうと考えてみると、その答えは料理の味そのものよりは、彼の振る舞いにあるのかもしれないと思うようになった。

出来立てが食べられるように、調理が終わる数分前には家族に号令をかけて椅子に座らせる。
そしていざ料理がテーブルに並ぶと、意気揚々と「これは僕が作った〇〇だよ!」と料理の紹介、あとは、自ら「おいしい!」を連発してどんどん口に運ぶ。
その姿を見ていると、少食の娘も自然と食欲が湧くのかもしれない。

おいしそうに食べる人と一緒に食べるごはんは、おいしい。
楽しそうに食べる人と一緒に食べるごはんは、楽しい。

これは食事に限った話ではない。

ある日のこと。
いつものように娘と公園に行った。
彼女は公園に着くと、大抵しばらくは何もせずにじっと立って周りを眺めている。
他に遊んでいる子どもたちを見ながら、恥ずかしそうにもじもじしながらちょっとずつ遊具で遊び始めるのだ。

その日も相変わらず周りを見るばかりでなかなか動こうとしない。
やっと滑り台をひと滑りしたかと思うと、すぐに私の元に戻ってきてしまった。

「遊んできていいんだよ」
そう促しても、親の周りをウロウロするばかり。
しばらくして、娘がはにかむように言った。
「おかあさんも一緒に遊んでよ」

そう言われてはっとした。

娘は私と一緒に遊びたがっていた。
自分と一緒に楽しく遊んでくれることを、親である私に期待していたのだ。

元より私は誰かと一緒に何かをするよりは、ひとりで黙々と何かをするのが好きである。
誰かと何かをすることが決して嫌いなわけではないけれど、要らぬ緊張をしてしまい、楽しむというところまではなかなかいかないのだった。

娘がひとり遊びができるようになってからは、少し離れたところで見守っていることが多くなっていた。
私は娘に対しても、自分と同じように考えていたのかもしれない。
自分ひとりで楽しみを見つけて、楽しんでいけるだろうと。

でも娘はそうではなかった。
私が娘と一緒に公園で遊ぶと、嬉しそうにはしゃぎまわり、生き生きとした表情をしていた。

誰かと一緒だから楽しい。一緒に楽しんでくれる人がいるから楽しいのだと、その笑顔は言っていた。

人と一緒に楽しむことを、どこかで学び損なってしまったような私だけれど、人は本来、誰かと一緒にいることで安心し、人と一緒に楽しむこと、一緒に喜ぶことを願う存在なのかもしれないと、子どもを見ながら思った。

人と一緒に楽しみたい。
いい歳をした大人が何を今更といった感じだけれど、これを私の新しい目標にしたい。

そうすれば、自分の近くにいる人たちが、きっともっと笑顔になれるだろうと思うのだ。

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