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街角の教会で食べるコングクスが美味し過ぎた

日本でも、多くの異なる宗教を持つ人々、あるいは異なる文化、国籍の人々が暮らしている。普段はことさらに意識することのないその事実が、ふとした瞬間に可視化されることがある。

その日はJR山手線、大塚駅で下車した。
駅前広場に入った瞬間、目を奪われたのは壁のように積み上げられた桃色の提灯。どうやら前日行われた東京大塚阿波踊りの飾りらしい。
見上げるほど高いその提灯の壁を通り過ぎて広場に入ると、多くの人が思い思いの時間を過ごしている。ベンチに座ってスマホを眺めるサラリーマン。車椅子に座る年配女性と、その横でタバコをふかしながら、何をするわけでもなく広場を眺めている夫と思われる男性。
ひっきりなしに人が行き交う広場の周りでは、路面電車が時折音を立てて通り過ぎていく。

急に、意識がどこかから聞こえる人の声に移る。よく通る声なのに、客寄せにしてはあまりにも単調な声だ。
声の方を見ると、何人かの人々が小道を挟むようにして立ち並び、通り過ぎる人々に視線を送っている。その中の一人が何かを読み上げているようだ。
どうやら、何かの宗教団体の布教活動らしい。

「そろそろ時間だ」
広場で靴を履き替えていた夫が呼びに来た。
最後に振り返ると、長い黒髪を腰まで伸ばし、レースの日傘をさした女性の姿の姿が目に映った。
夏の真昼だというのに、彼女の姿はどこか優雅ですらあった。

路面電車の線路脇には、パンフレットを持ち無言で立ち続ける女性の姿もある。これもよく見る布教活動だ。
無表情で立ち続ける彼女は、一体何を考えているのだろう。

信仰には、いや、宗教には、休日の炎天下のなかでも熱心に活動をさせる力があるらしい。その姿を見て思うのは、胸を打たれるような純粋さでもあり、怖さでもある。

今日は、大塚のとあるキリスト教会の礼拝説教者として夫が呼ばれていた。
説教者というのは、礼拝中に集まる人々に向けて話をする人で、一般的には牧師が行う仕事である。
目指す教会は、ビルや店が所狭しと立ち並ぶ通りの一角にある。
教会と言っても、見かけはどこにでもある雑居ビルで、通りに置かれた看板のおかげで、やっとビルの中に教会があることがわかるのだ。

まるでどこかのセミナールームのように、長机と椅子が並べられた一室に入ると、今まさに昼食会が始まろうとしていた。
次々と机に並べられる使い捨て容器には、白いソースがたっぷりと入った麺が盛られている。それからコチュジャンなどのソースが和えられたビビン麺。そしてキムチ。
韓国人が多く集うこの教会では、午前中の礼拝が終わると、皆で韓国料理の食卓を囲むらしい。

食前の祈りが終わり、勧められるがままに目の前の白いソースの麺に箸を伸ばすと、とんでもなく美味しい。
白いソースの正体は主に水で戻した大豆で、クリーミーな舌触りの中にしっかりとした豆の風味が感じられる。しばらくはそのままの味を楽しみ、ソースの中にキムチを入れると辛味が加わってそれも美味しい。

韓国人が集うキリスト教会に縁があり、今まで色々な教会を訪れてはその度に韓国料理を食べたが、どれもこれも驚くほど美味しかった。
料理の作り手は教会に集う女性たちで、彼らはいずれも何十年と、家庭でそして教会で韓国料理を作り続けているプロなのである。
その味を知ると、日本の店で食べる韓国料理が偽物に思えてしまうほどだ。

面白かったのは、礼拝の説教について感想を言い合う時間になると、皆照れたようにパスを繰り出しているのに、食事中のお喋りは尽きることがないということだった。

よく食べ、よく笑う彼らの姿を見ていると何だかほっとする。
そこにはキリスト教徒としてカテゴライズされた人々ではなく、ただの人として、もっと言えば親しみやすいおじちゃんやおばちゃんの姿があるからだ。

駅前で見かけたあの布教者たちにも、くだらない冗談を言い合ったり、飲み食いしているときがあるはずである。そんなとき彼らがどんな話をするのか聞いてみたい、そう私は思う。

夫が牧師という関係上、キリスト教界に関わることも少なくないのだが、不思議とキリスト教に対する関心は年々薄くなっている。
キリスト教よりはイエス・キリストについて、キリスト教徒よりは人そのものについて興味があるのかもしれない。

他の宗教のことは知らないが、日本のキリスト教はますます高齢化が進み、教会の扉も次々と閉められていると聞く。それは仕方のないことだし、それでもいいんじゃないかと私は思う。
ただ、個人的なワガママを言わせてもらえるなら、美味しい食卓を囲み、それぞれの悩みや痛みがそっと癒されるような、そんな温かな場所はあり続けて欲しい。
いや、きっとそんな場所はなくならないはずだ。
なぜなら、美味しいものを食べ、笑ったりお喋りを楽しみたいという人の願いは、決してなくならないと思うからだ。

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