伏見同然

趣味もないのではじめました。金曜の夜くらいに書きたいので『金曜文庫』と名付けてやってみ…

伏見同然

趣味もないのではじめました。金曜の夜くらいに書きたいので『金曜文庫』と名付けてやってみています。

最近の記事

とりあえずの箱

 うちのクローゼットには、とりあえずの箱と呼んでいる箱がある。  片付け術のサイトなんかには定番で出てくるものなのだけど、どこにも置くところはないけど捨てられないものをいったんダンボールに入れておいて、一定期間使わなかったら思い切って捨ててしまいましょうという、ずぼらな僕にもすぐできそうな方法だ。とりあえずボックスなんて紹介されていたんだけど、うちのボックスは案の定すぐいっぱいになって、それでも捨てられないものが永遠に閉じ込められることになったので、開かずの間みたいな雰囲気

    • 別に書かなきゃいけないわけでもないし、誰に怒られることもないし、酒でも呑んでる方が幸せなんだけど、やらないと気持ち悪いんだけど、モチベーションも上がらないし、タスクとして書こうとするんだけど、衝動的なものもないし、もうやめちゃうかーとか思いながらYouTubeとか見てたらマグカップ欲しくなってAmazonを開こう思ったらLINEに「今日夜のみどう?」とか来てて、これは行くとダメだけど人生経験のほうが大事でしょってことで「いいね。いきたい!」って返信したから、今日も休まず書いたってことにするための1文字

      • こういう人間

        「わたしは、こういう人間だから」  彼女は、背筋をぴんと伸ばして、目を見開いて叫んだ。「こういう」と言うときに両手を広げている様子は、まるで子どもが抱っこをせがむときのようで、つい抱きかかえたくなる。しかし、3歳の娘の母である彼女を抱っこする理由はない。  こういう人間と言われて「どんな人間?」なんて野暮な返しはしない。そう、彼女はそういう人間だから。自分の欲求に素直で、自分の欲望が最優先で、体の中が自分でいっぱい。抱っこポーズは、自分で自分を抱えきれないと言っているように

        • 明日の天気は

           テキストの集合体が作り上げた、先進的で理想的な世界は、デジタルデータのようにはキレイに整わず、エラーが起きまくる現実世界の人間を、極限まで生きづらくした。  その世界は、被害者をできるだけ生まないように、自分が被害者にならないようにするために機能したが、最大の欠陥は、誰もがうっすら加害者であることだった。  堅くて、狭くて、息苦しい。多くの人がそう思い始めると、過去の記憶を辿り始める。良かった瞬間の思い出だけをなぞっては、あの頃のようになろうと訴え始める。  さて、それでは

        とりあえずの箱

        • 別に書かなきゃいけないわけでもないし、誰に怒られることもないし、酒でも呑んでる方が幸せなんだけど、やらないと気持ち悪いんだけど、モチベーションも上がらないし、タスクとして書こうとするんだけど、衝動的なものもないし、もうやめちゃうかーとか思いながらYouTubeとか見てたらマグカップ欲しくなってAmazonを開こう思ったらLINEに「今日夜のみどう?」とか来てて、これは行くとダメだけど人生経験のほうが大事でしょってことで「いいね。いきたい!」って返信したから、今日も休まず書いたってことにするための1文字

        • こういう人間

        • 明日の天気は

          八話の彼と

           三話目くらいから、なんか変だなって思ってはいたんだけど、六話で確信に変わった。わたし、主役じゃないみたい。かといって、モブキャラでもなくて、いわゆるヒロインの恋敵って役割ってかんじ。  最初は、主役の彼とヒロインが出会う瞬間を見かけちゃったんだけど、なんか、そのときだけ時間がゆっくり進んでる感じになって、世界全体がちょっと明るくなってた。で、ほんと今考えればよくわかんないんだけど、すごいそれに嫉妬しちゃって、その頃は結構ひどい顔してたと思う。恥ずかしい。  私は彼を取られ

          世界を救うか、松屋を食うか。

           人生最大の選択だ。私は今、松屋の目の前にいる。大きな選択とは、牛めしにサラダを付けるか、さらには生卵か半熟卵も付けるかということではない。この状況で松屋に入るべきかどうかだ。  状況を説明するためには、話しを20年前に戻す必要があるが、あまり長話をしている時間はなさそうなので、できるだけ簡潔にまとめる。定職につかず、バイトをしながらその日暮らしをしていた23歳の私は、ある女性に出会い一目惚れをする。その女性の周りで起こる事件に巻き込まれていくうちに窮地に追い込まれ、私にある

          世界を救うか、松屋を食うか。

          はなさない

          はなさない娘  ほんっと意味わかんない! もう知らないよ。どうしてあんなに怒られなきゃいけないの? 家の中だけでしか威張れないってママも言ってたよ。あれもダメこれもダメって、つまんないつまんないつまんない。はなちゃんちのパパみたいにやさしいパパがよかったな。めぐちゃんちのパパみたいに、お店を持ってるパパがよかったな。わたしのことなんか、なんにもかんがえてないんだ、きっと。ママみたいに、もう口きいてやらないんだ。もし喋ってきたって、もう話さない。 はなさない父  またあん

          はなさない

          彼女がトイレを終えるまで

           金曜の夜が始まりかけた空気で満たされた店内は、ほどよく高揚感が漂っていて、初めてのデートにはちょうど良かった。彼女が席を立ってトイレに向かうと、秀平はスマホを取り出す。口元に、ついさっきまでの笑みが残っている。画面に表示されたのは、20:58の文字。シャンパンを一杯、赤ワインを二杯飲んだ頭は、いつもより妄想が加速している気がする。十九時集合で待ち合わせたイタリアンの店は、秀平が予約した。ふたりとも社会人一年目だ。奢りでも割り勘でも彼女に気を遣わせない値段設定の店で、料理も雰

          彼女がトイレを終えるまで

          意(仮名)

           私は〈意〉である。〈意識〉とか〈好意〉とかの〈意〉だ。一般的には「心に思っていること」と説明される。  私が〈意〉の状態のとき、私の存在は誰にも見えない。しかし、私が声になると〈意見〉と呼ばれるものになり、人間が活発になったときには〈意欲〉などと呼ばれる。私の考えが及ばないことが起きると〈意外〉というものになったりもするように、私にはその時々で様々な名前がつく。  私は、宿っている人間と同じく今年で四十三歳になる。この人間がまだ小さかった頃、小さな人間は叫び声をあげたり

          夜ごとゴトゴト

           怖い話を自分の体験談で話す場合、今目の前で話してるお前無事じゃんってことで、緊張感減るよね。今回は俺の体験した話なんだけど、俺が無事かどうかはまだわからない。というのも、これは体験する前に書いてるから。  今は木曜日の夜十一時。これから自宅に帰るところ。家に着いて玄関のドアを開けたら、なにか奥から物音がするはずなんだ。でも、今は一人暮らしだしペットも飼ってないから、その音のする方を気にしながら、ゆっくり家の中に入っていくことになると思う。ここら辺で「なんだか様子が変だな」

          夜ごとゴトゴト

          今日、わたしの恋は😀。

           最初の最初、本当のきっかけまで遡れば、どうしようもなくくだらないことだったと思う。もっとよく考えれば、本能的な何かで相性が良くなかったのかもしれない。「生理的」って言わないのは私のこだわり。なんか冷たすぎるし、なんなら「生理的に好き」ってことのほうが気持ちわかるから。  そんな風に、言葉ってちょっとしたことで相手を傷つけたり喜ばせたりするってことばかり考えるようになって、今の彼に対しても、いつも言葉を気をつけてた。で、最初の話しに戻るんだけど、ちょっと前の会話の中で、だん

          今日、わたしの恋は😀。

          そこにある おくりもの

           子どもの頃、両親から「あなたは、特別な贈り物を持っている」と何度も聞かされた。その贈り物を持っていることを、周囲の大人たちも驚き、ことあるごとに褒めてくれた。同じ学校の子どもたちは特別なそれを持っていなかったので、私は余計に得意になった。  確かに、私は特別な贈り物を持ってはいたが、それと同時に、自分にとっては鬱陶しい贈り物もあり、私はそれを不要物と呼んでいた。大人たちは不要物のことはあまり触れてくれず、贈り物のことばかりを聞いてきて、両親はそれを手に入れた方法を語った。

          そこにある おくりもの

          綺麗な人生

           キッチンから見える中庭に、フリージアが咲いている。花びらには、さっきまで降っていた雨の水滴が残っている。そこに太陽の光が反射して一面が輝いていて、嘘のように美しい。  私の人生のようだと清美は思った。日曜の昼下がり、リビングで自ら宿題を始める息子、家の目の前の公園に犬と散歩に行く夫。それを見ながら、紅茶をいれ、クッキーを用意する。広々とした家に、キャンプ道具の積まれた車。社会課題を解決する企業に務め、浮気もしない夫。子供からも保護者からも職員からも慕われる教師である自分。

          綺麗な人生

          わたしにはわかる展

           触れることができないものはアートではないと常々思う。触れると聞いて、手で触れるようなものを想像されたのだとしたら、それこそ想像力が足りないと言わざるを得ない。アートのふりをしたものと一緒に写真を撮って、インスタグラムにでもあげていれば良い。  本当のアートは心に触れてくるのだ。私とアートが触れ合い(何度も言うが物理的ではなく)わかりあえたとき、そのアートが完成される。アートを作った者が完成させるのではなく、作者の手を離れた作品自体と私たちが完成させるものなのだ。  そんな

          わたしにはわかる展

          コンサルラーメン

           空も心も晴れきっている。こんな日は年に何回もないと小倉将司は思った。会社を立ち上げてから苦悩ばかりだったが、昨年始めた新規事業がうまくいき、売上も絶好調で、社内も活気づいている。  酒もタバコもやめて、食事も気をつけてきた介がある。先程終えた商談もうまくいき、気分良くオフィス街を歩いていると、『拉麺・権詐流』と立派な看板を掲げる店が目に入った。  今日くらい自分を喜ばせてあげよう。そう思ったときには、もう店のカウンター席に座っていた。奥から綺麗なユニフォームの店員が注文を聞

          コンサルラーメン

          せめて言葉で抱きしめて

           美咲はかつて、悠人に愛され、何度も抱きしめられた。  悠人は最年少で有名文学賞を受賞し、彼が生み出す言葉は、多くの人の人生に関わり、救いとなった。  美咲はコピーライターとして活躍し、彼女が生み出す言葉は、多くの人の日常に寄り添い、支えとなった。  雑誌の対談でふたりが出会ったとき、互いに発する言葉の意味を越えて惹かれ合っていき、必然だったかのように暮らしを共にし始めた。やがてふたりの人生が終わるとき、美咲はこの人生を永遠に続けたいと思い、ふたりそれぞれの脳をデジタル化し

          せめて言葉で抱きしめて