見出し画像

世界を救うか、松屋を食うか。

 人生最大の選択だ。私は今、松屋の目の前にいる。大きな選択とは、牛めしにサラダを付けるか、さらには生卵か半熟卵も付けるかということではない。この状況で松屋に入るべきかどうかだ。
 状況を説明するためには、話しを20年前に戻す必要があるが、あまり長話をしている時間はなさそうなので、できるだけ簡潔にまとめる。定職につかず、バイトをしながらその日暮らしをしていた23歳の私は、ある女性に出会い一目惚れをする。その女性の周りで起こる事件に巻き込まれていくうちに窮地に追い込まれ、私にある能力が開花した。42分後の未来を断片的に見ることができるようになったのだ。その能力に戸惑っていた私だが、見えた未来に合わせて自分の行動を変えることで、42分後を書き換えることができることができるようになり、女性の危機を見事に救い、その裏で暗躍していた組織を壊滅することに成功した。

 全ての戦いを終えた私たちは、くたくたになりながら松屋で牛めしを食べ、何事もなかったように別れた。彼女の後ろ姿の向こうに夕焼け空が見えて、あれはエモかった。それから数年後、彼女は私の知らない男性と結婚し、私の知らないコミュニティの人となった。私の能力は変わっていなかったが、あのときのように派手に使う機会もなく、なにより能力を活かしたい動機が、どこか遠くへ行ってしまった。
 彼女の結婚相手が、そこそこ大きい会社の社長だと知って、私は能力を嫉妬と共に使い始めた。一応、主人公的な設定を守るために、ずるい使い方はしていなかったが、競馬を始めた。最初に掴んだ大金を大金にするのは容易だった。金持ちが金持ちでいることの意味がわかった。家も車もなんでも買えた。彼女の旦那が足元にも及ばないほどの資産を持っていた。
 私が大金持ちになったことを、彼女が人づてに知ったことまでは聞いた。しかし、彼女は私など最初からいなかったかのように、以前と変わらず幸せな生活を続けていたようだ。

 人生への意味を見失っていた私は、毎日を淡々と生きるだけになっていた。私が私の能力を正しく使わなかったからなのか、どちらにしても人類はこの道を辿ることになるのかわからないが、ある日、世界の誰よりも早く第三次世界大戦が始まったことを知った。そこから42分で私にできるようなことはなく、あっという間に日常と戦争が共存することになった。

 そして今、42分後の街には大きなサイレンが響き渡っていて、ミサイルが向かってきているという放送に人々はパニックになって逃げ回っている。私は街に出た。そこには戦時下とは思えないほどの日常があった。42分後に何が起こるのかも知らずに過ごす人々がいた。
 街を歩きながら42分後の未来を見続ける。体に響くような低い音が近づいてきている。今、自分の目にはいつもと変わらない街が映っている。42分後の音が高く響いたあと、遠くで大きな音がして、そちらから何かが向かってくるような気がしてじっとしていると、大きな音がこちらに向かってきて、体を強く押されたあと、未来は真っ黒になった。
 目の前には、戦時下でも当たり前のように営業を続ける松屋があった。お客が2人だけの店内は、あまりにも平和だった。私は、未来が見えなくなったことで、自分に、そして世界に何が起きたのかを悟った。あと30分程で、さっき見たサイレンが鳴り始める。ここから私にできることなど何もない。

「最後の晩餐にするか」
人生で本当に言うことになるとは思わなかった。晩餐と言うにはまだ早い時間ではあるが、最後の松屋は夕日があれば最高だ。しかし待てよ、本当に松屋を食べてる場合なのか。こうして冒頭の状況になる。
 見えている未来は相変わらず真っ暗なままだ。世界からあらゆるものが消え去り、そして、42分後の彼女はもういない。私は真っ黒な未来を見たまま松屋に入り、あのときと同じ牛めしを注文した。
 もう未来は見えなかったが、過去が鮮明に見えた。私と彼女の生きる世界を救い、疲れ切った体で食べた牛めし。微笑みながら水を持ってきてくれる彼女。食べ終わったあとに外を眺めながら無言で過ごした時間。去っていく彼女と夕日。
 涙が溢れそうになって慌てて牛めしを口に運ぶ。あのときと同じ味だった。そのとき、真っ黒な未来に一瞬だけ彼女が見えた。まだ私が見たことのない42分後の未来の彼女の姿。もう一口食べると、また彼女の笑う姿が見えた。
 まだ未来は書き換えられるのかもしれない。サイレンを鳴らさないようにできるかもしれない。世界を救えるのかもしれない。彼女の笑顔をまた見れるのかもしれない。
 私は残りの牛めしをかきこむと松屋を飛び出した。42分後の未来は白く輝いている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?