小学校時代の大事件~担任の先生に対する気持ち~

『大事件』自分ではそう思ってます。後にも先にもこれを超える感情が揺さぶられた瞬間というか『嫌になった気持ち』なんですかね・・・もう何もかもわからない状態だった感じです。これがあったから何か変わったというのもないのですが、ずっと覚えている。そんな瞬間です。他の方にとってはなんだその程度かもしれません。自分にとっては『大事件』です。そのため文字にして整理をしたいのです。自己満ではありますが・・・

では、話します。始まりは、担任の先生の一言です。

『今日は、紙に最近の出来事や気になることを書いてください』です。こうゆうのって紙ではなくて個人面談の時でも自分は誰かのことを書いたり悪く言うこともなく『特にないです』というタイプでした。そのため、担任の先生のこの一言を聞いたときも何も書かずなんでそんなことを行うのかと思ってました。そして、これはどうして行われたのか次の日明らかになります。

『次の日』国語の時間でした。いつも通り準備をしていましたが、先生から『自習』と言われます。そして、私が隣の部屋(図工室)に連れてかれました。自習と言われていたのでなんでと思っている自分がいます。椅子に座らされ、こう言われるのです

『昨日クラスのみんなに書いてもらった紙にあなたの名前が一番でてきた』これを聞いた私は、正直よくわかっていません。そして1つ1つ読み上げられます。1つ目はこちらです

『かばん事件』こちらは紙に書く前の日にR君、Oさん、S君でいたときに傘でK君の鞄をツンツンしました。そこで、K君が来た時に『やめろ』ってなりますよね。K君がOさんもやっていたと思ってOさんにも言うのですがOさんはやっていないと泣きます。実際は少しやっていたと思います。K君はいつも優しいのでその優しさもあり、S君やみんなでまぁまぁという感じで終わりました。しかし、この1件をN先生に書いていた人物がいました。それがSくんでした。S君は、最近あった出来事としてこんなことがあり自分達で皆で解決しましたみたいな感じで書いていました。しかし、人のカバンをという部分で怒られます。自分たちで謝って解決もしていたことをわざわざ呼び出し怒られるのです。この時点では私は泣いておらず解決した認識は自分でもあったのでそのように答えます

『ごめんね事件』あるときからNさんに対して「ごめんね」は?みたいな感じで言うようになります。わざとNさんにぶつかって「ごめんね」は?みたいな・・・今でもなんでこんなことをしたのかわかっていないのとその時なんでやったかを聞かれた時にもなんとなくと答えています。そしてこのことを怖いですと書かれてしまいます。そりゃ怖いでしょうね・・・

『給食事件』 ごはんがまわってこなかったことをHさんとFさんに言います。そしてもらったご飯を他の人にまわします。それをせっかくあげたのに他の人に渡したのが意味不明と書かれます。実際は何かされたと思って他の人に渡します。どうして渡したかと聞かれて、先生には、ほこりがあった気がしたと言います。実際は量が少なくて渡していましたが、何を言っても難しくわけもわからなくなってました。すると渡された人にも悪いよねとなりますね・・・

『Mさん事件』Mさんより、急に優しくなって怖いです。Gさんにはきつい感じになってると書かれます。ここで先生からは『好きなの』って聞かれます。そんなことは決してなく、自分では「言い争いが多いからならないためにしている感じ、Gさんに対しては特に理由がない」と答えます。

書かれたことは以上です。そして私が悪いことはわかると思います。しかしです。こんなに書かれる?ってなったのとなんか心のどっかで納得できていません。何を納得できていないかを説明できないのですが・・・

怒られたら泣く私は、当然泣き出します。先生から自分で説明し謝りなさいと言われます。その通りだと思ったようなしょうがないと思ったのか・・・先生が呼んでくるから待ってなさいとなり『ごめんね事件』のNさんに謝りました。次の日からは一切話さない、近づかないようにしました。先生によっては嫌なことをされていた生徒を助けた感じですし、教育としては正解ですよね。私も悪いことをしていたので良い出来事だと思ってます。

『給食事件』 ご飯をもらっていたのに他の人に渡してごめんなさいとHさんとFさん、渡した人にもごめんなさいと謝ります。

『Mさん』Mさんに怖がらせてごめんなさい、Gさんにはきついあたりでごめんなさいと謝りました

ここで、思うことはNさんと理由を嘘ついたこともありますが他の人、Gさんは理解できます。HさんやFさん、Mさんにはすこしわかりません。というかごめんなさい。書きながら少し泣けてきました。なんだろう、ほんとわからないんです。あの時の自分が・・・ うまくまとめられません。とにかく書きます。このことは、親には言えませんでした。

かばんと給食は直近だったこともあり書かれたと思います、ごめんねとMさんは継続的な感じでしたのでずっと恐怖を与えてしまったんだなと思いました。書いていて思ったのは、先生のやったことは正しいと思います。怖がっていた方が怖がらなくて生活できるのですから・・・

自分はこれを機にNさんとは話さない、Mさんにも特別優しくすることはなくGさんにも普通に話すようにします。その後、毎日誰かになにかをすることもなくS君やK君と遊びながら過ごしていきます。この後怒られた記憶もないので自分でも相当気にして生活はしていたんでしょうね・・

しかし、私はこう思うのです。

『ここから逃げたい』・・・

しかし、私の家庭はマンションを買っていたこともあり、引っ越しはありえないのはわかっていたので、もうどうしようもないなと思っていました。このままこの学校にいて卒業するんだなと・・・

そんなとき、1本の電話がなりました。SMAP×SMAPの録画を見ていた時です。今でもはっきり覚えてます。母親が電話をとり、父親から北見に転勤になったと、そのときの私は『やったー』でした。この環境を変われると・・・ここから私の人生は変わります

実際過ごしていたときは、N先生を嫌いという感情はもっておらず、後にあ、嫌いだった、あ、嫌われていたと思いましたね。やはり『塾』だと思ってます。母親はN先生に私に対する評価は通知表からしかわかりません。なんでテストで点数も良いのにこんなに評価が低いのか・・・授業はうるさかったと思いますが点数で評価をされていないことに驚いたのですかね・・そして理由をこう見つけたのです『塾』に行ってると言ったから・・・でもなんか腑に落ちたのです。そうかもしれない。いやそうだと・・・嫌われていたとはっきり言うと正解ではないかもしれませんが、好かれてはいなかったことは確かです。

私に起きた大事件。これの反省や感情を書きます

まず紙に書かれてしまうまでの行動をしていた自分。これはやっぱり悪いと思います。誰かをからかうなど少し好きなタイプでしたので泣かせてしまうことはありました。そうゆう場面でクラスメートからよく思われていなかったと思います。結局は嫌われていたのです。自分はその時『嫌い』ってあまり思わないタイプなので人から嫌われるもないと思ってました。甘かったですね。

親からも幼稚園~小4までの話をされたときは凄く嫌いです。楽しい話が一つもないんです。母親は田舎が嫌いで北見をよく思っていないので北見の話はあまり出てこないですね・・・

私の幼稚園~小4までに関わった人を好きではないです。それはその後出会った人たちに恵まれたからです。これによってあの時代の人たちってなんか嫌だったなと・・・過ごした時間はつらかったな・・・『はぁ~』とため息をついた瞬間が北見にいって訪れます・・・

今思いました。私当時から嫌いだったんですね。嫌いなんてないと思ってたのに・・・嫌いだったんだ・・・そうかそうなのかも・・・

だからそのような態度をとって満足するようにしていたのかもですね。やはり整理して良かったです。嫌いで毎日辛かったからそれを解消するためにやったんですね。はーほんとそんな理由で人を傷つけたんですね。最低ですね

本当に申し訳ございませんでした。

次は、転校先のエピソードを語ります。




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忘れられない先生

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