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村生まれ、サバイバル幼少期

幼少期→青森

下北半島?むつ市?の周辺で生まれたらしい。
20歳越えてからの記事に書き足すけど
20代後半まで実母の存在を知らなかった。
戸籍上、下北半島側の生まれだと知るのは30歳手前のお話。

記憶にあるのは下北と真逆。
村の海沿いのすぐ横が堤防の大きなお屋敷の一人っ子でした。
5歳までしかいないので友達の記憶はありません。
でも仲良い女の子二人が居た気がしますw
今思えば一人は親戚?らしい。
堤防を越えたらテトラポットが沢山あって貝拾いしたり小さいカニ探したり意外と野生児だった。
というか小学生まではとても野生児で引きこもりなんてとんでもないww
親父の転勤で群馬に引っ越し
5歳までの記憶なんてそんなもんです。

幼少期→保育園

竹やぶとか畑、森の奥に昔ながらの平屋一軒家
そこで20歳くらいまで過ごしました。
大家のツノダさんちが凄くお屋敷で裏に森があって沼があって
小学校の頃は蛇がうろちょろしてるとか当たり前すぎたくらい
サバイバルな幼少期ww
ツノダさんが保育園の園長さんでした

ゆるい坂に見えるけど4、5歳の当時きつかったの覚えてる。
この坂も変わってません。左のブロック塀の奥はお墓、お寺さん。お墓がある一帯に保育園がありました。

この奥が数年前まで森だったなんて沼があったなんて蛇がうろちょろしてたなんて誰も想像できないよね


1年?半年?くらいしか保育園に通ってませんがユキエとユリエの二人は今でも大親友です。
お泊り保育凄く嫌だよね?ww
お化け屋敷された記憶も蘇った。
運動会大嫌いだった。昔から太ってたからビリばかりで。
実家の押入れには保育園の卒園証書とアルバムがある。

青森に住んでた頃のガチ幼少期
ゆりかごにパンパンでしょ?www


この絨毯覚えてるからすごいと思う。
昔からヤンキー座り得意だったのかもねwww

今でも建物は変わってない。叔母さんちの床屋。このTVも変わってない。
多分小学生。

お下がりとか着させられた記憶はなくて一人っ子だったから?
おもちゃも服も勉強道具も新品だし。
今思えば一人っ子でよかった、時期もあったんだと思う。
昔から多趣味。
塾やお稽古してたせいもあるけど(半分強制w)

THE平凡な人見知りのない一人っ子。

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