見出し画像

海が嫌いだった幼少期。

お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、私のサムネイル画像はすべて海がテーマになっています。

すべての生命の誕生の地、海。
すべての国と国との間を隔て、そして、繋げる海。
命を育み、命を循環させる海。

幼少期、私は海が嫌いでした。
海で兄を亡くしている母の影響もあり、あまり海には連れて行ってもらえなず、3歳からプール育ちだったこともあり、塩辛い水の意味がわからず、みんなで海に行っても砂浜で山を作って遊んでいる子供でした。

海が嫌い。
それは幼き頃に刷り込まれた記憶であったのか、大人になるまで私は海が嫌いだと思い込んでおり、そして海は恐怖の対象でもありました。

20代になり仲の良い友だちがサーフィンをはじめました。

私は海が嫌いだったため誘われたけど、拒否、その後続々とサーフィンを始める友達が増えて、気がついたら私だけが取り残されてしまいました。

土日に遊ぶ友達がいなくなったので、自分は川でカヌーでもしようか考えていけど、友達がサーフィンをやっているところを一度見に行ってみました。

夕日にキラキラと輝く海に楽しそうに飛び込み、真っ黒になっていく友人がとても眩しく、えらくかっこよく見えたことを覚えています。

そんな矢先、患者さんがサーフィンやるなら、いらない板があるからあげるって言ってくれて持ってきてくれました。

板はボロボロだったけど、初めてだし、嫌だったらやめたらいいし、そんな軽い気持ちでサーフィンをすることになりました。

初めて板の上に乗ったときは不安定で、まったくバランスが取れずに海にたたき落とされてしまいます。

しかし、何回かのトライで波に押されて岸までたどり着いたときの感覚といったらなんていうのでしょうか、天然のウォータースライダーに乗った感覚です。

そのスピード感と心地よさに一発でサーフィンにハマってしまい、それからは毎週のように波をチェックしては、海に通う日々が始まりました。

塩が強く、いくら漕いでも沖に出れない日もあったり。
波に飲み込まれぐるぐるに巻かれた日もあったり。
波が大きく過ぎて、恐怖で身動きとれなくなった日もあったり。
4月の冷たい水にさらされ、歯をガクガクさせ、震えながら波を待つ日もあったり。

楽しい時間より、圧倒的に自然の厳しさを身体に叩き込まれる時間の方が長いのですが、それでも15年、細々と続けてきました。

今は年に数回しかいかない、にわかサーファーになってしまいましたが、それでも私が海が嫌いだった過去があったなんて信じられないぐらいです。

毎年、海で亡くなる人がいる報道を見ては心を痛めています。
先日も知床で痛ましい事故が起こってしまいました。
4月の水の冷たさを知る身としては、身を引き裂かれるような思いで報道を見つめていました。

一刻も早く全員が見つかり、その身を海から引き上がることをお祈りしております。

しかし、厳しい母なる海は包み込み、そして癒やしてもくれます。
ヒトの故郷なる海。
その深い碧さに私の心はいつも湧き立ちます。

朝の海を散歩するのが大好きです。
心地よい風と波の音、無条件に好きな時間。
本当に海を好きになってよかった。

いつか海の見える街へ住みたい。
風が運ぶ塩の匂いを感じながら。


岸を見失う勇気を持っていなければ、人は新しい海を見つけることはできない。

アンドレ・ジット(フランスの小説家)

あのとき一歩踏み出してほんとに良かった。
挑戦は道を切り開き、そして新たな自分を発見することができます。
そんな教訓を得た私の海の話。

最後までお読みいただきありがとうございました。


#エッセイ  #ポエム #海 #海街ダイアリー 

サポートいただけたら今後の活動の励みになります。 頂いたサポートはnoteでの執筆活動費、参考図書の購入に使わせていただきます。