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狼森と熊のレストランと生と死

冬の始まりに相応しいゲームがくまのレストランである。ヘッダ画像をお借りしています。

合っているのはとても重く暗い気持ちになるから。というのもくまのレストランというゲームのテーマがどうみても「死」であるため。


くまレスと狼森

そして今ぼくはその実況を見ている。

該当SNSとかを調べればゲームが造られた背景とか事情は一発でわかるんだろうけど、ぼくはあまりゲームの作者とかの話を聞きたくない想いがあるため避ける。ゲームに問わず画とか文面でもそうなんですけど……

くまのレストランが造られた背景にはたぶん、現状生きている誰かと誰かが、どちらかの命が尽きる前に何かしらコミュニケーションをとっておくべきだ、みたいな理念があるように思えた。

つまりやり残しをしないで人の死を迎えるべきだ、みたいなことだと言える。それほど人の死が詰め込まれている。といいますか、これを書いている時点でまだ実況が続いているほどテーマは掘り下げられている。

ぼくがこのトピックを書こうと思った理由はもともとぼくがここで死についてよく考えることがあったこと、

なんとなくくまのレストランというゲームについては知っていて、そのマザーライク―――という言い方は単純すぎてあまりしたくないんだけど―――といいますかいわゆる80'sピクセルアート、ドットアート系ヴァリアントとして近年リヴァイヴァル的な注目のされ方(3Dだ、Live2Dだという最新技術をあえて使わず、ドットやピクセルで表現される最新ゲームが割と常にリリースされるような雰囲気)のゲームについてももともと興味を持っていたためでした。

そして実況について書こうと思った理由として、狼森自身がゲーム中に「心が折れそうな背景」なんかが説明されると「読まない」という方法を選んだことがあげられる。

これは画期的な気がする。あまり遭遇したことないけどゲーム実況とかでド直球な放送禁止用語とかを回避することはあるだろうけど、読み上げを拒否する、、拒否という単語はちょっと強いのであまりふさわしくなさそうだが、意図的にそれまで全文を読んでいたけど今回は選択的に読まないでおくね、としたケースをぼくはあまり知らない。狼森の独自性である。

心を裂くような台詞、感動的な台詞でさえも途中まで読むのだが「読めない……」としてその余韻を常に噛み締めている。斯様なノベルゲーの進め方(ぼくはくまレスはRPGだと思うけど)をしている人(悪魔)をついぞ見たことがなかった。

でももしかしたらぼくが知らないだけで、今までもそのようにしてきたのかも知れない。それこそ狼森自身がこれまでの人生(悪魔生)で見つけ会得した経験値であり、処世術であり、取り柄であると言える。なのでもしファンの人がいたとしたら教えてくれなくていい。

狼森の個性

ぼくが初めて知ったのはまだ狼森がシュガーリリックというチームに所属していたころでした。その後、なぜか所属企業がグループを廃止し、自社企業名を所属全員がいるグループ化してしまった。結果的に動物の耳がついていたり、不思議な尻尾や角がある(人ならざる)人々やない人々やメカなんかが同軸上に普通にいることにはなったものの、そこにはなんらかの戦略があるのでしょう。もちろんこちらについても教えていただかなくて大丈夫です。

シュガーリリックとは悪魔……といいますか同所属のハニーストラップという悪魔の女王のチームに対して「小悪魔と称される5人が所属していたグループ」だった。だからいま現在、狼森は小がつかない悪魔となるために一生懸命強くなろうとしているのでしょう。

あちらは高等な悪魔とされているが、でびでび・でびると似たような喋り方をしていてたぶん悪魔とは斯様な喋り方をするものなのでしょう。

そこでこのような選択敵合理性を身に着けていった。なんかどう表現すればいいのかわからず、調づいた(ちょづいた)分析だの論文的表現になっていないといいのだが、ぼくはここではそのような書き方を排除したいため。

ここからは非常に余談で読む必要がない。自分語りみたいで恐縮だが(こうした自己のスペースに於いて別に自分について話す行為に制限などないのだが、何かしらを褒める文を書いた際に、急に筆者という登場者の情報を差し込まれるのはノイズであると理解できるため恐縮した)、ぼくはくまレスのエピソードが割とつらく、狼森と同じように大ダメージを受けながら見ていた。

狼森自身は実際に直でゲームと相対しているため、きついのは自身だろうが彼女にはチャット欄に彼女のファンとともにいる。だからって重さが軽減されるとは言わない。ぼくとどちらがつらいか、みたいな比較などしたいとは思わない。

しかしながら別にぼくは当該チャット欄とか、果てはSNSも利用していないので彼女のファン的層との繋がりもなくひとりで視聴することになる。その重さをどう処理したものかわからず、流石に途中、手持ちのプレイヤーで同時に歌を聴き始めてしまった。

それはタモリのワーク・ソングであり、なぜそれが聴きたくなったのかガチで自分でもわからない。登場してきた者の中に、異常に悪辣な非人道的な扱いをされて過労死するようなエピソードが出てきたからかも知れない。タモリのワーク・ソングとはその対極にある「できるだけ世界を舐めながら生きていこうぜ」然とした歌です(ぼくの独自の理解です)。

何回か聴いたあと、シャッフルで流れるようにしていたらスピッツのありがとさん、アメリア・ワトソンのGura doesn't know I existが流れて来、

信じられないほど奇跡的に美しい繋がりであると感じた。

言うまでもなくありがとさんは失恋と捉えるのも良いんだろうが、デビュー当時のスピッツが常に提唱していたように、歌の内容とは死と性であるという考え方に基づくのであれば、死者に対してありがとさんと言っている歌でもある。

さらにアメリアの友人に向けた歌では、強い「思い残し」が込められている。

つまりこれは生と死の一瞬の輝きのような一期一会感をメタファーしてぼくの眼前に現れた、「意味のある偶然」だったのかも知れない。ここからぼくが何を感じ、生きていくのかが試されているのだろう。

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