春の星に生まれたBIRD・下
昨日からROSSOの1stEPについて考える。ヘッダ画像をお借りしています。
本来大学2年生とはそのような新しい季節の影響を受けづらい生き様だったはずだが、ここ数年だけ例外があったことは認めよう。
自分がいなくても回る世界に価値があるのだろうか?それまで自分が世界の中心にいたのであればそのような世界観ギャップに侵され、自死を考える人もいるんじゃないかと思った。だがそのような舐めた価値観を大学までに捨てろと世界はまた言っているような気もするが……大学までにその価値が矯正され得なかったのであれば、治せというほうが酷な気もしてくる。それは個性だと。
つまり治せ、ではなく直せが正しいのであり、もはや当人にすらどうにもできない気質なのであればその個性を忠実に守り、デザイナーとか唯一無二性が発揮できる生き方をすればいいだけのことだっていうことですね。
それは下記のリンクでお話した。
この文の概要
新社会人の状況: 新社会人が伝統的な企業文化に順応する過程で、彼らが不合理な要求に直面している
体育会系の言及: 体育会系出身者がリーマン(ビジネスマン)として好まれる一方で、その他の人々が適性を発揮できない現状が問題
エンターテインメントとしての営業: 営業活動がエンターテインメント化している現実があり、それに精神的な負担がある
個人の価値と企業文化: 企業が個人の価値や可能性を無視し、単なる利益追求の手段として従業員を利用している
考察
これももちろん新卒とかに向けた、向けたといいますか新卒のその後を勝手に不安視する(不安視はするが、別に助けない)ものであり、大きなお世話である。
不安しかない世界の中で真っ春にリリースされたシャロンはその当時の大学一年生とか新卒の肩をほぐしてやれたのだろうか?少なくともぼくが初めて聴いた時、春かどうだったか忘れてしまったが……楽器屋みたいな場所で女の人がシャロンを聴いていたのか、まるでTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTじゃんと笑っていたら、ぼくの友達が全然ちげえわボケが、とひとりごちていた。
ぼくはシャロンのイントロの照井のベースを聴いて、一体どうすればこんなフレーズが思いつくのか……と膝から崩れ落ちそうになった。といいますか、このEPを聴いてそれ以外の感想がいだけるのであれば知りたい。どの歌の才能も恐ろしい。そして人が抱きがちなただ叫んでるようなそれでは決してないのだ。すべての歌にメロディがあり、例外があるとすれば惑星のLOUIS VUITTONとかシケインのあたりだろうか。
しかしこれは後期THEE MICHELLE GUN ELEPHANTといいますか最後のシングル(コンセプトシングルはエレクトリック・サーカスだが)であるGIRLFRIENDでもALCOHOL DRUGS ROCK'N'ROLLというフレーズがあるが、それに通じるラップ現象みたいなものである。
つまりBIRDの前が赤毛のケリーという恐ろしくメロディのある歌で終わり、(サンダーバードヒルズというクッションはあるものの)次にTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTとしてリリースした太陽をつかんでしまった、およびSABRINAHEAVENの冒頭ブラックラブホール、そして赤毛のケリーにとって(たまたま、別途書くべきだろうがぼくが赤毛のケリーにとって姉妹みたいな歌だと思っている)マリオンあたりと接地する歌の一種なんじゃないのかな、みたいな考え方ですね。
となるとこれは千葉のインタビュー集にも通じることになってしまうのだが、「どこでリリースするかの違い」だけでしかないのかも。先の女の人の感想は間違っていなかったのだろうか?という考えが頭をもたげるが、そちらについてはまた次回。
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