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elinを9.8αまで遊ぶ

note内に # 行った国行ってみたい国 っていうタッグがあるのでまさにこの架空の世界で遊ぶゲームに使いたいんだけどそんなことは許されないんだろうなと思って書いてます。ヘッダ画像をお借りしています。全然大したことじゃないし特筆すべきでもなんでもないんですが、最後( ↓ )に借りた画像についての感想をはじめて書きました。

elin

elinはPC向けゲームです。下記カタログを適度に見ていただければわかりますが、アルファ版という正式リリース版ではないものが多分テスト遊び用、フィードバック用みたいな感じで先月末にダウンロードできるようになりました。

ところがぼくはこのパイロット版というようなゲームについてガン遊びしてしまった。既に(ぼくにしては)恐ろしい時間をこのゲームとともに過ごしている。でもぼくの周りにいる普通にゲーマーっぽい人々と比べると、多分そんなに大した時間じゃない。例えばApexとかポケモンとかもっと時間を欠けられるだろうし、寝食を忘れて楽しめるでしょう。

ぼくは寝食を忘れるのがあまり好きじゃないから、最初によーし今日は16時間ぐらい遊ぶかと思ってもせいぜい3時間程度が関の山だった。これは個人の資質によるもので、そもそも物事は他と比べて良いことなんてまずない。

ともあれぼくは元来――といいますか現代のゲームはユーザから時間を搾取することにより「後戻りできない性」を奪うことが特徴なため、どれだけユーザがそのゲームに対して時間を費やすかに焦点を当てられた造りになる―――、最近のゲームは時間さえかければ大抵のことをできるようになるため、いわば無理やり当該ゲームに愛着を芽生えさせようとする設計が為されていることに対して抵抗感を持っていました。

つまりゲームに対してコンセンサス、エンゲージメント、コミットメントを持つことは危険だと思ってしまっていた。ゲームからは快感とか時間をつぶすためのツールという利用のしかたのみをすべきであるという確固たる結論を持っていた。

上記は大体においてオンラインゲームであることが多いですよね。だからこその例示した特徴だとも言えるだろうけど、elinは落としきり……というと語弊がありそうですが、任意のサーバから自己のPCなりなんなりにダウンロードして遊ぶゲームです。だからコミットメントだのなんだのをするなんて遊ぶ側にその一切が委ねられている。

この前提がある中、ぼくがここまでelinで遊んでしまったのはなぜかと理由を考えた。もちろん作者のゲームデザイン的なセンスが自分の感覚にドンピシャだったりするんだろうし、過去に同じ人のゲームを遊んでいるからこその単純接触効果だの様々な相乗効果があると思う。

次回はさらにこの部分を掘り下げて書きたい。


みんなのフォトギャラリーは機能として価値がない

ご覧いただければわかりますが、以下は借りた写真に対しての小言なんかではもちろんなく(どうして写真を借りる側が貸してくれる側に文句なんて言えるんだろう?)、写真借りれる機能の杜撰さについてです。

借りた画像は北海道らしいんですが、まさにこんな世界が見られる。最初EU圏の田園系の景色を探してた(いま話しているelinというゲームは中世ヨーロッパあたりが想起されるファンタジーなので。しかしながら時代は別に地球のそれとは違うし、多分地球の出来事ではない)んですが、elinで遊んでいると本当にこういう場所に足を踏み入れた気持ちになるからお借りしました。

多分note内で画像が借りれる機能についての感想を述べたことは初めてです。機能といいますか借りた画像先について。

この機能自体の凡庸さ、もしくは愚鈍さについては述べようとするとそれだけでエントリが独立してしまうのでやめておくしかない。例えば同じアカウントの似たような絵が連発されるのは嫌がらせ以外の何物でもない。note社は上場企業の癖にフィルタ機能すら持っていない。上場企業の割にダークパターンマーケティングが得意なようだ。



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