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ほどよく厳しい人。

「ほどよく厳しい人」が好き。

「ほどよく厳しい人」はつっこみが厳しいので何も準備しないでは会えない。

会ったら会ったで言い方にも厳しいので、この言い回しでニュアンス伝わるかななどと考えだすとそうパッパパッパとは話せない。

でもその緊張感が、悪くないのですよね。自分が高められていく感じがする。私がちゃんとしていられる。やりとりするだけでこちらが大人でいられる。ほどよく厳しいとは、そんな存在の人たちです。

不思議なのは「厳しい」はストレスなのに、「ほどよく厳しい」は私のモチベーションアップにつながっているということ。

だとしたら、私は人の何を捉えて「厳しい」といっているのだろうか? ここ何日かそのことを考えていたら「ほどよく厳しい人」たちに、ある共通点がみつかった。それは、

絶対わからないままにしておかない」「わかるまでとことん掘り下げて訊く」

この2つ。そうそう、いつもそうなのです。これさ「厳しい」の一種なんだろうか? 辞書をひいてみると、

きびし・い  【厳しい】
① 厳格で、手心を加えない。取り扱いに容赦がない。
② 耐えがたいほど激しい。激烈だ。
③ 人を寄せつけないような印象を与える。柔和でない。 
④ 何かをするのがむずかしい状態である。
                              ーweblio辞書

”容赦がない”とありました。

「ほどよく厳しい人」たちは猛烈に容赦がない。そういう意味で彼らはやっぱり厳しいのかもしれない。感覚としては「ほどよく」をつけたほうがしっくりくるけれど。

わたしの人生の転換期にそばにいた人も「ほどよく厳しい人」だった。あの人がそうでなかったら人生変われなかったなと思う。

最近そういった、人間同士が高め合える空気とそれを持つ人に、とても興味があります。どうしてこの人と過ごした後は向上した気持ちになれるんだろうとか。私をちゃんとさせる力をもった人に出会うと、すごいなあと思う。このこと、いつかもう少し掘り下げてみたい。