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宮﨑駿「風立ちぬ」でどうしようもない気持ちになる理由

うまくまとまるか わかりませんが
宮﨑駿氏のドキュメンタリーを観て 改めて感じることを…

まず彼の出自をきょう 初めて知りました
宮﨑航空興学 という一族の会社に勤める父上が 飛行機の部品製造などをおこなう製造所の責任者だったこととか

幼いころから身近に飛行機があって
だから当然 飛行機だいすき少年で
でも戦後の惨状を目の当たりにすることで 戦争への嫌悪感は強烈にもっていて
そのころからもう 飛行機と戦争というジレンマを抱えていたことがわかる

その彼が いちどは引退を宣言しながら
それを撤回して手がけた11作目のテーマが
戦闘機設計者として知られる堀越二郎の半生

「飛行機が描きたかった」
それなら「紅の豚」を もうつくってるよね
「メロドラマがつくりたかった」
うーん… ほんとに?
「アニメーションは子どものためにつくるもの」
そう思うなら なぜ…
「恥ずかしいんですけど 自分の作品観て 初めて泣きました」
……

わたしは 少ないおこづかいでアニメージュ愛読してた中学生のころから 宮﨑駿作品が好きで
だけど好きな作品には偏りがあって
「風」は どうしてもダメだった作品たちの筆頭に上がってくる

「この世界の片隅に」を読んだ後に感じた 気持ち悪さと同質のものを 感じずにはいられなかったからで
今回のドキュメンタリー観ても それをけっきょくぬぐい去ることはできなかった…
(たいてい 宮﨑さんの苦闘ぶりを見ると 懐柔されちゃうんだけども)

ドキュメンタリーの中で 製作が佳境に入り
行き詰まった彼が口走っていたのが
「時代は選択できないんですよ」
「彼らはあの時代の中で 精一杯生きようとしたんですよ」
といった言葉

そうなのだろう とわたしも思う 思うけど

堀越をはじめとする軍需産業の しかも頭脳部を担っていたインテリ層が当時 やっていたことは
どうしたって正当化できるものではない
それは 議論の余地もない
宮﨑氏自身も「人殺しの道具をつくった人の映画をつくるのか? と聞かれる。それに答えなくちゃいけない」と語ってるくらい

で その答えというのが さっきの言葉のようなんだけど
つまり「あの時代だったんだから 仕方なかったんだ」「彼らはその中で精一杯生きたんだ」と

「この世界の片隅に」と おんなじだね…

なんだろ
それじゃやっぱり だめなんだわたし
「苦悩しながらも 技術者として技術の粋を極めようと粉骨砕身 生きぬいた」
なんで言われても…
なぜそれしかできなかった? と思ってしまう

すぐれた頭脳を持つ人がそうして 戦争を高度化したり大規模化するために利用されたことで
死ななくて済んだ人たちがたくさん死んだ
仕方なかった では済まされない ものすごく大きな責任があると思ってる

それを こんなふうに ある意味擁護 弁護するような作品を
やっぱりいい作品だとは 思えない…

これがもし 宮﨑氏の「ジレンマ」をカタルシスに至らせるためにつくられた作品ならば
専門誌で連載した「妄想カムバック」と同等くらいの規模でおさめておくべきだったのではないか と思うけど

興行収入120億円とか… どれほど多くの人のこころに
「人の道に反するようなことに協力したり それで生活を成り立たせたりしても
非常時なら あるいは 逆らえない理由があったなら
それは許される 悪いことではない」
という思念を植え付けたかと思うと 胸がふさがる

飛行機が好きなことと
戦争を肯定し容認することは けして同義ではないと思ってる
なぜなら わたし自身も飛行機だいすきだから

だけれども
飛行機の産業や技術は 戦争がもたらす巨額のお金と権力によって育まれてきたものだ ということを かならず念頭に置かなければならない と思ってる

宮﨑氏だってそれはよくよくわかっておられると思う
だからこそ 「風」にまつわる話に触れるたびに
どうしようもない気持ちになるの…

※「風立ちぬ 宮﨑駿の妄想カムバック」の画像はネットからお借りしました

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