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映画「MINAMATA」で痛感する日本の(資本主義社会の)人権無視の根深さ

MINAMATA」封切り2日めに鑑賞
109シネマズ二子玉川のシアター6にて
感染対策のための市松座り・50%着席ルールで ほぼ満席に近い状態に見えた

この作品をコロナ禍のいま メジャーな劇場で封切り映画として公開できたことの意味は とても大きいと思う
そのために奔走し骨を折られた方々に 心から感謝したい

いま
まさに目の前で 身近なところで起きている「人権や ひとの尊厳の軽視」が
日本で 世界で いかに根深く続けられてきているか
そしてその構造をつくりだす 権力と金の趨勢がいかに とどまるところを知らないか
さらに 軽視され さげすまれる側の人間が「しかたない」「どうしようもない」「この中でなんとか生きていくしかない」と思考停止し 容認し
構造を内側から支える役割を自らすすんで担ってしまう(巧みに担わされている)という図式が いかに皮肉なものか

つきつけられる

その中で声をあげ 身体を張って 人生を賭けて「おかしいものはおかしい」「間違ってるものは間違ってる」と戦ってくれた先達がいなかったら
こうした悲劇は「なかったこと」にされて 世界が わたしが知り得る由もなかった と思うと
戦い 知らせてくれたひとたちに 心の底から感謝するばかりだし

ひるがえって
彼らが命がけで知らせてくれた事実から わたしたちは学べているか? と思うと
改めて戦慄するばかり…
わたしたちは いったいいつになったら 悲劇の繰り返しを止めて 先達に報恩できるんだろうか と
忸怩たる思いになる

水俣で 福島で そして沖縄で
いや日本全国で いや東アジアで
いやそれこそ世界各地で
ずっとずっと続いている「権力と金による人権蹂躙」を
わたしが生きている間に終わらせるために わたしができることは何なのだろうか と…

「現代ビジネス」内の「FRAU」のページに載っていた アイリーン美緒子スミスさんの 日本の女子高での講演録から以下一部引用↓

「それとやはり、なぜ公害が起こるのかという話になると思うんですけど、これって実は汚染物質の問題ではなくて、人間関係の問題なんです。
大昔は奴隷制度があったり、植民地支配があったりしましたよね。
でも『私たち得するひと、あなたたち損するひと』という構図でつくられた“栄華”は本当のすばらしい社会ではないと思うんですね。
『環境問題』という言葉が使われますが、やっぱり根本は『不公平』なんです」(アイリーンさん)

「しかたなかった」と容認し 同調することは 権力側の罪の片棒かつぎであり
かつぐ人間がいなくなれば 罪の重さで権力はついえるのに
みんなでかつぐから 権力側の罪の負担は軽くなり
彼らはのうのうとやすやすと 私腹を肥やして自らの力を強大化し 承継して維持し続ける…

ふと思い出すのは
「赤信号 みんなで渡れば怖くない」という言葉

「権力の横暴も みんなで見て見ぬふりして 権力にすり寄って おこぼれをもらって生きていけばいい」と思えるのは
その横暴の直接の被害をこうむってないうちだけ

そうなる前に
「権力の横暴をただすための行動も みんなで起こせば怖くない」と思えるかどうか

先達が命がけで知らせてくれるメッセージを もうこれ以上おろそかにはできない
改めてそう感じさせてくれた映画だった

みんなで行動おこそう
権力の暴走をとめよう
人権無視もうやめよう

この映画を観ることが その第一歩になると思う

※以下 ちょっとネタバレあり

観賞後の感想をひとことで言うと…
「思ってたのと違った」
これは映画に問題があったわけじゃなくて わたしの見立て違いだっただけ汗

沖縄にいた10年のあいだに シアタードーナツオキナワ桜坂劇場
ものすごく骨太で 脳みそガツンガツン殴られるような硬派なドキュメンタリー映画を 何本も観てきたからか
今回のMINAMATAにも それに近似したものを無意識に求めてしまっていたのだと思うけど

この映画は ドキュメンタリーじゃなく 実話を元にしたいわば「超上等な再現ドラマ」なので
そんな期待をして観たらそりゃ「あれ?」ってなるよね…

それをいちばん感じたのは 企業と市民の対話のシーンで
娘ふたりがメチル水銀中毒の被害を受けた母親が その心情を吐露する場面があるんだけど
俳優さんが演じてるとわかって観るからなのか なぜかそのセリフや感情表現が心に刺さってこなかったり

たぶんいろんな事情があって この形に落ち着いたのだろうとは思うんだけど
「盛りを過ぎた写真家が 落ちぶれた写真雑誌にふたたび生命を吹き込んだ あのMINAMATAのスクープは こうして実現した!」…的な 写真や雑誌やメディア側の視点が強くて
主体であるはずの 「企業が起こし 行政が悪化させた公害問題」への切り込みがあっさりしているので 薄くというか浅く見えてしまったり

それでいて ユージン・スミス氏がどのくらい認められた写真家だったか という部分についても あまり十分な説明がないので
彼を知らないひとにとっては 置いてけぼり感がある気がしたし…
※参考までに→ 彼の伝記を日本語で出版している偕成社の紹介ページより、以下一部引用↓

1918年、アメリカのカンザス州で生まれたユージンは、若いころ写真家をめざした母親の影響で、自然とカメラを手にするようになります。すぐに写真にのめりこむようになり、高校生のときにはすでに、地元新聞に写真を定期的に買ってもらうことにも成功します。
 
 けれども、その頃、ユージンの報道写真のあゆみを変えた、最初のできごとがおこります。それは、事業に失敗した父親が自ら命を絶ったことでした。そのニュースは、ユージンの写真を買ってくれていた同じ新聞に掲載されたのですが、その内容は家族が抱える哀しみを顧みない、心ないものだったのです。
一度は報道に嫌気がさしたものの、あえてその中に飛び込むことで、報道の真髄を学びたいと考えたユージンは、やがて、テレビのなかった時代に報道の最前線であったニュース雑誌「ライフ」のカメラマンとして、戦地へ赴くようになります。しかしこれも、ユージンの目指す報道の姿ではありませんでした。過酷な状況を目にするうち、「いいところ」ばかりを見せようとする軍の要求に、ユージンは次第に反発の気持ちを強めていきます。


いろんな意味で わたしには少々「物足りない」印象だったんだけれど
それでも

水俣で起きた(起きている)ことを まだよく知らない息子には やっぱり観ておいてほしいと思うし
知る入り口 考える糸口によい作品であることは間違いないので

もう一度 こんどは息子と観にいこうと思ってる

※追記 そういえば…
加瀬亮さんと國村隼さんの英語の発音がきれいで ちょっとびっくりした!
そして嬉しかった^_^

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