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対談:越境する自己啓発本

対談人物(F:俺、A:安部ちゃん)

F:君さあ、自己啓発本って読む?

A:自己啓発本ですか?うーん、何を自己啓発本って呼ぶかにもよりますよねえ。

F:そこは難しいなあ。言ったら、Webで検索して「自己啓発本のランキング」みたいなのに入ってくる本かなあ。

A:「できる人は………」とか「一流の人は………」とか「………の習慣」とかかあ。あー、読んだのもれば、読んでないのもありますねえ。

F:当たり前だな(笑)。

A:しかし最近はほとんど読んでないっすね。結局、どれも似たようなもんじゃないですか?脳科学がどうとか、マインドセットがどーとかって。情報商材売り的というか。

F:おっと、いきなり結論めいたこと言うねえ。でも俺は仕事が忙しくなってるときとかに、景気づけに読んだりはするなあ。中身スカスカなんで短時間で読めるじゃん、あの手。で、「なんか俺もやれるかも」とか幻想を抱かせてくれる。短期的にね。

A:ほとんどエナジードリンクみたいな位置づけですね。

F:ほぼ、そうかなあ。で、感触としては二種類に分けられると思うんよ。「あなたの考え方を変えたら、こんなに楽になる」と「このメソッドを使えば、こんなに楽になる」みたいなもの。

A:考え方の変更も、メソッドのひとつになりません?

F:そこが難しいところだよね。明確な線引きは難しいなあ。「抽象的」と「具体的」の間で、その自己啓発本の提唱するメソッドが、どっちに寄ってるか?か。かなり「具体的」なほうに寄っている本を、自己啓発本って呼ぶのは失礼かもしれないけど。きちんとしたフレームワークと利用手順・効果を示しているような本は、別扱いにしたげたいなあ。

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A:てことは、自己啓発本っていう呼び方は、ちょっとした蔑称、と?

F:俺の中ではね。でも世の中的にもそういう雰囲気、あるんじゃない?

A:まあ、多少はありそうですよね。なんかそればっかり読んでると恥ずかしい感じはありますね。あんなに自己啓発本読んどいて、それ?みたいな。

F:「自己啓発本を読むくらいなら、古典を読め!」とかもあるな。若干、いらないお世話感もあるけど。これって何だろうなあ?そう言った途端、古典自体が、「自己啓発本」というじわじわ動いて広がるカテゴリの中に飲み込まれちゃう感じがない?『カラマーゾフの兄弟』だって『正法眼蔵』だって飲み込まれそうじゃん。

A:ありますねえ。そうすると、世界から「自己啓発本カテゴリ」から逃れることのできる本なんかなくなっちゃいそうな気がしますね。

F:自己啓発本からいちばん遠そうな………、例えば官能小説だって、「人間、やればできる」てな自己啓発を発現しそうじゃん。前向きだわ。

A:まあ、意味合いは違いますけどね(笑)。

F:話を広げ過ぎて悪いんだけど、大体、「本」ってもの自体が、他者が書いた文章を通じて他者の思考とか物語る内容を、内面化する装置なんだよな。

A:自己啓発に近いっすよね。

F:自分が同意できない意見を述べたような本だって、自分の中に何かの反応を引き起こす、自己啓発っちゃう可能性があるよな。

A:その言葉使い、引っかかりますけどね。何なんすかね?自己啓発って。

F:うーん、「自分の変化」だよね?自己啓発本って、本書を読むことで、あなたのあり方、能力とか精神生活とかが向上しますよ、旦那~。って本なんだろうなあ。で、その「勧め方」が、いかにもな感じがする。

A:あー、そこの「旦那~」っていう太鼓持的なすり寄り方って、鼻につきますねえ。

F:その辺に境界があるのかなあ。こっちの欲望とか弱みとかを見越して、もみ手しながら近寄ってくるんだよ、彼らは。「いかにも自己啓発っぽい本」と、そうでない本を分ける境界かな。「旦那、一流の人になりたいんでしょ?なら、ちょっと良い話があるんっすよ。いや、ここだけ、旦那だから話すんですけどね」って感じか。「二流の人は知らない………」なんてのは、逆張りのツンデレ系か。日本人、罵倒されてから入るの好きそうだし。でも、商売の内容は同じ。

A:なんか嫌な言い方だなあ(笑)。

F:こっちにだって「最近イマイチだなあ。でも俺、もっと何かしたら一流になれるんじゃないの?」てな欲があるから、「お前はうるさいんだよ。寄ってくんじゃないよ」と若旦那のように邪険にしつつ、「ん?まあ、ちょっと覗いてみるか」って自己啓発本をめくっちゃう。で、ちらと太文字で書かれている煽り文句が目にとまって、この本を買って帰ったら、俺の人生はバラ色に変わるんじゃないか?と、ムダ金を使っちゃう。よほどできた人か、よほどできてない人以外、劣等感なんか皆にあるからね。

A:太鼓持のペースにはまってますね。

F:で、この太鼓持のずるいところは、「考え方を、こんなパターンにすれば、明日からあなたも一流の人っすよ」って言うんだけどさあ、それってぶっちゃけ「正解のない抽象的な状態」なわけだな。人間の考え方なんて人間の数だけあるからさあ。最終的に「一流の人」にならなかった場合でも、「それは旦那のマインドセットがイマイチだったわけで」となる。

A:その旦那、また似たような本を買いそうですね。

F:買うだろうね。旦那だってもう薄々分かってきてんだよ。「一流の人は………」って本を読んで、そこに書かれている何かを実行したって、一流の人にはなれないってことは。

A:大体、「一流の人」って、どういう状態なんすかね?ビジネスの成功者とか金持ちとかすか?

F:さあねえ、単なる用語としての「一流の人」なんじゃね?言葉なんて明確な対象がなくても言ったもん勝ちだから。で、ありがちな話だけど、一流の人は「一流の人は………」てな本を書いたりすると思う?ウラで他人に書かせるにしろ。

A:書きそうにないっすね、自己啓発本なんて。

F:出来レースなのかもしれないなあ、自己啓発本を書いて売る側と、読む側の。言ったら、二、三流内部での、目先のビジネスと目先の快感だろう。

A:じゃあ、エナジードリンク的な取り扱いで良し、と?

F:俺の正しさが証明されたってことか(笑)。でもまあ、俺は自己啓発本を身銭を切って買ったりはしないけどね。せいぜい、図書館かサブスクのおまけ。だってもったいないじゃん、スカスカのパターン化されている本を買うなんて。あっ、「自己啓発本」生成ロジックなんてのがあっても良いかも。古今東西の自己啓発的メソッドをDBに格納しといて、ランダムに抽出して、本っぽい体裁にするの。EPUB形式くらいの電子本ならサクッと自動生成できそうだし。

A:あたかも新しく手に入れた自己啓発本みたいに読める、ってことすね。

F:物忘れが良ければ、一生使える。

A:下手すると、世の中の自己啓発本も似たり寄ったりの手法で作られてたりしてですね。

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