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適応障害で1ヶ月間会社を休職するが何でこうなったのかという覚書①仕事量おかしくね?

8月の末、その心療内科の若い医者は、私が話し終わるとこう言った。
「その状況、適応できる人いませんから」
そう言ってもらえて、ホッとした。
医者はすぐにも休ませたがったが、どうにも抜けられない仕事もあって、会社と相談の上、数日前から一ヶ月間の休職となった。
その事態に至るまでのことを、つらつらと書いておこうと思う。

去年の今頃は、ラグビーワールドカップ一色で我が世の春を謳歌していた。楽しいとか、ワクワクするとか、したいことをしている幸福感とか、そういったことを全身で実感していたし、全身からその幸せオーラなるものが発光していた(複数人から指摘あり)。
その頃からすれば、今の自分との差に我ながら驚く。
でもおそらくは、すべてはワールドカップのころから始まったように思える。
そのあたりのことは、以前書いたが、あの頃は自分で自分を笑う余裕がまだあった。

去年の4月に部門長が変わり、ワールドカップの頃に部長が変わり、仕事のあり様が一変した。求められるレベルは高く、スピードは速まり、そのくせ段取りと形式にはうるさく、量は増える一方で、さらに言えば「上向き」の仕事が増えた。

例えば、親会社主催の「会議での報告」、その報告のための「会議」、その会議の対策のための「打ち合わせ」、その報告と会議と打ち合わせの度に作ったり修正したりする大量の「資料(もちろんPowerPoint)」、その資料のための「データ集め」「データ集計」に場合によっては「新しい集計方法を考え出すこと」、といった一連の仕事。

会議は親会社主催のものだけではなく、自社のものもあるから、幹部・責任者向けの定例会議だけでも一ヶ月で6つある。
また、親会社からぶっこまれてくる案件、自社の案件。これも同様の動きが入ってくる。自分が担当している通常業務とは、当然別だ。
これらを、課長と同僚2名(4月に1名増えました)と私で回す。他に課員はいるが、アシスタントの域を出ない。

しかも辛いのが、課内でデータ処理やシステム回りに最も長けているのが私なので、自分の担当分以外のデータ処理も頼まれる状況だということ。
特に「処理方法を考えること」が出来るメンバーがいない。役無し管理職とはいえ、ややこしい実務になるとほぼ一人で丸抱えなのだ。
ほかの部署もITに弱いメンバーが多く、その手の相談事は大小ともに私に回ってくるし、担当ではない仕事にも裏で参加する羽目になる。

だから、コロナで在宅勤務となった4月からは地獄だった。
特に4~5月の頃、Web会議になれない幹部が右往左往するので、幹部会議に参加してチャットや電話でサポートした。
ひどい時には、社用パソコン(Web会議とチャット)、社用スマホ(電話対応)、社用タブレット(別のチャットアプリで対応)、私物のパソコン(不具合の解決方法を検索)と、デバイス4つを抱えて仕事をしていたこともある。

このころ、コロナ下の状況を記録しておこうとnoteに記事を書いていたが、胃痛や睡眠不足について書いている記事がある。
DAY14で止まっているのは、たかが2週間で文章を書くどころではなくなったからだ。6月までは並行して英語の勉強もしていたので、よくぞ倒れなかったと思う。

私はもちろん、同僚たちも限界いっぱいになりながら仕事をしていた6月、部長とメンバーで話をする機会があった。
仕事の量に対し人数も人材も足りないこと、そのために本来やるべき仕事ができないこと、高度な仕事をこなしているのに、回っていないからと言う理由で評価が低いこと(本社部門なのに支社と同じテーブルで評価される)などなど・・・我々の訴えを一通り聞いて、部長は言った。

「わかりました。それはそれとして、まずは各自のスキルを上げてください」
これは、私と同僚たちの心に刺さり、いまだに抜けない棘だ。同僚の一人は、この頃から不眠症になっている。

そして在宅勤務が当たり前になってくることを踏まえ、その対策をするという仕事が、さらに増えていった。
仕事が増えすぎて収拾がつかなくなり、この盆休み、私は一念発起してパソコン内のファイルの整理をした。
通常業務(これも元々業務レンジは広く数が多い)とは別に、抱え込んだ案件を1件ずつフォルダにまとめていたが、16まで作って、やめた。
私の中で、何かが音もなく切れたのは、この時だった。

(つづく)

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