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適応障害で1ヶ月間会社を休職するが何でこうなったのかという覚書②思考回路は逞しいはずなんだけど

仕事に加え、もう一つ、私を追い詰めたものがある。
家族の厄介ごとだ。
このコロナ下に、地元にいる親が病気で入院を繰り返していて対応していた上に、7月にはその実家の資産管理について銀行と姉たちとやり取りをし、強行軍で実家と東京を往復したのも効いた。

すでに8月に入ってからは、在宅勤務で仕事をしようとすると動悸がし、無理に仕事をすれば勝手に涙が流れ、出社時にはコロナ対策でデスクにつけられた衝立に隠れて涙を拭く状態。
盆休みに入って休めればと思ったが、お盆の支度ができるのが私だけなので、仕方なく実家に帰ったことでたいして休めず、仕事の件と合わせてトドメだった。

盆明けからは、動悸と涙でほぼ仕事が出来なくなった。
仕事が出来なければ、当たり前だが大量の仕事が滞り、それでクレームとなり、対応が増え、それでも新たな仕事は容赦なく降ってくる。
これ以上は、自分自身はもちろん、会社にもロクなことがないと思って、ことここに至って、課長に話すことにした。

思いがけなかったのは、課長から「すぐに病院に行きなさい」と言われたことだ。もう少し頑張ってくれと言われるかと、覚悟していたのだが(実際には通院と薬で三週間弱、頑張る羽目になったが)。
で、医者に行き、「その状況に適用できる人はいない」と言われ、「適応障害」との病名を頂戴した。

医者は「よく8月まで(症状が出ずに)もちましたね」と驚いていたが、おそらくこれは私のモノの考え方、感じ方のせいだと思う。

例えば、部長。
彼が「スキルを上げてください」と言った時、「スキルが足りないと言われた」とは思うが、「私はスキルがないダメな奴なんだ」とは思わなかった。
なぜなら私は、客観的にみて仕事できる奴なので(社内の人材と業務の適性から判断しての「できる」です)。
あの時は「スキルの問題か? 解決策の順序が違うだろうよ」と、部長のマネジメントに呆れたのだ。

家族に対しては、以前は散々辛い思いをさせられたが、自分の心の健康を優先して、この人たちに自分が欲しかった何かを期待することはとうに手放した。
その結果、家族に対しては愛情ではなく、「娘」や「妹」という仕事として接することにしている。だから、親が入院した時や資産管理で「家族だからやらなきゃ」「家族だから心配しなきゃ」と思って自分を責めたことはない。
正直に言えば「ちっ、仕事増やしやがって」という面倒くさい気持ちだった。

そういう思考回路の人間なのになぜこうなったのか。
責任感が強いから、と、課長は言ったが、違う。
私は、自分の状況を客観視して「いくら私が仕事できる奴でも、これは無理だろ」という現実を認識してはいた。
でも、実は無意識に私が私自身にかけていた「もっとできるはず」というプレッシャーをかけていたのだ。

部長にちゃんと評価されていないのは悲しいが、それが理由で「もっとやらなきゃ」とは思わない。正当に評価されてないだけなんだから。
家族が甘えてばかりなのはやるせないが、「ここで頑張れば、次は甘えさせてもらえる」などと思うことはない。彼らを頼れる日など、来ないととっくにわかっている。

でも、私自身は?

(つづく)

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