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壊れながら、わたしへ|詩「光の巣」

いつか破片となって散るときに、教えてほしい。
すべては光のように
「ここ」へ そそがれた存在に過ぎないと
壊れながら、わたしへ
ただ一つの鍵をあずける。

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   光の巣

                 文月悠光

日常へ引き戻されていく
朝の顔を鏡で確かめていた。
起き抜けは、尻尾を生やしていたけれど
だんだんと人間じみて
見知ったわたしになっていく。
洗面台に張りついた、泡の足あとをたどりながら思い出す。
このあたりの家は皆、蜂の巣のようであったと。

「ここに並ぶ扉は、どれもよく似ていますが
この扉以外のどれを開けても、部屋には違う人が暮らしています。
半年後に同じ扉を叩いても、同じ人が出てくる保証はありません」
そのようにおどけたそぶりで
きみにドアを開けてみせた。
覚悟してください。
ここにいる誰しも、いつまでもきみの前にはいない。
神がかくしてしまうのです。

ドアノブを握りしめたまま、
かくされた四角い空間を、体温のように思い描く。
蜂の巣の幼虫たちに、血をめぐらせるのだ。
かつてこの部屋では、誰かが泣いた。
その夜、きみによく似た男の影が
部屋を訪ねるのを見た。

引っ越しは、 春の自分に宛てた手紙だったと思う。
過去は、いじましい四角となって、
新たな巣へ送り出されていった。 
わたしが所有していたのはこの部屋ではない。
空白を埋めてくれたすべての影は
いつでも手放せるものばかりだった。

晴れた日に白い皿を買って
抱きながら、電車のなかで微睡んでいる。
この皿の上で、どんな明日がふるまわれるのか。
その様子をわたしは誰と覗くだろう。
いつか破片となって散るときに、教えてほしい。
すべては光のように
「ここ」へ そそがれた存在に過ぎないと
壊れながら、わたしへ
ただ一つの鍵をあずける。


(初出:「星座」2017年春虹号 no.81)

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