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活動休止で見えたもの

嵐が活動休止を発表した。
連日さまざまな形で取り上げられている。それを眺めていてファンとして嵐について考えることはもちろんあるが、それとは別に「報道」について思うことがあったので書いてみたい。

ずばり 思うこと、とは報道は「受け手がニュースを正しく偏りなく理解すること」よりも「どれほどほかと違う情報を出せるか」や「自分たちの媒体がどれほど注目を浴びるか」に重心をおいているではないかということだ。

あるワイドショーでジャニーズの情報通と名のる男性が活動休止の理由を語っていた。
「リーダー・大野さんはデビュー当時から『やめたい』と漏らしていたんです。もともと内向的な性格でアイドルという仕事が合っていなかったのでしょう。」

おいこら。うそ言うんじゃない。確かにリーダーは流されるままにデビューした人で、当時は「いつやめようか」と悩んでいた(雑誌・テレビ番組で本人が語っている)。だがそんな気持ちのまま20年も嵐を続けていたわけではもちろんない。

彼が今回の活動休止を決めたのは「アイドルの仕事が合っていなかった」からではない。自由な生活がしてみたい。彼は会見で何度もそう口にした。

だがもし嵐をよく知らない人が、もし会見を見ていない人がこの報道を見たら。リーダーが意図しない、間違った認識をもってしまうだろう。

こういう報道が嵐の活動休止についてだけなら まだいい。でもそうじゃないだろう。たとえ芸能ニュースであっても事実とは異なる報道や憶測でしかない報道をする人たちは、ほかのニュースでも同じことをするのではないか。

政治や国際関係や社会問題。それらも受け手に誤った認識を与える報道がなされていたら。きっとわたしは気づけない。今回のようには。


そう、今回は情報元を自分の目でしっかり見ていたから報道に違和感をもった。嵐の会見を一言も聞き逃すまいと見てファン向けの動画・文書に目を通し、メンバー個人のことばにも注目していた。

それに加え以前から彼らの言動・性格を少なくとも知っていた。

ということは本当はほかのニュースでもそうあるべきなのだろう。歴史を頭に入れて情報元をしっかり見る。それができたら「報道」の見え方はまるっきり違うはずだ。


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