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別れの痛みとともに思い出すこと

ㅤ「最近気づいたんや。悲しみを乗り越えるのではなくて悲しみとともに生きていくんやって」そのことばを聞いたときわたしのなかで共感の鐘が鳴りひびいていた。

ㅤこれは連続テレビ小説「半分、青い。」に出てくる弥一さんのことばだ。親友を亡くした主人公すずめが、どうすればその悲しみを乗り越えられるのかと聞いたときだ。数年前に妻を亡くした弥一さんはそう言ってやさしく微笑んだ。

ㅤそう、そうなのだ。わたしは昨年、だいすきな母を亡くした。それからずっとわたしのなかにあった違和感が弥一さんのことばですっと流れた。そしてなぜわたしは違和感を感じていたのかも理解することができた。今日はそれについて書きたい。

2違和感のわけ

ㅤ悲しみを乗り越える。このことばは歌でもキャッチコピーでもすり切れるほど使われている。ここでの「乗り越える」とはどういう状態を指すのか。辞書には次のようにある。

乗り越える:②苦しい環境にうちひしがれずに前進する。克服する。[引用]三省堂大辞林ㅤ

ㅤたしかに大切な人を亡くした悲しみは時間とともにやわらぎ、その人がいない世界にだんだんと慣れていくことはできる。

ㅤしかしその悲しみは決して克服できるものではない。過去のものになり消えることもない。おそらくこの先何十年たっても。

ㅤ今も旅行に行ったときはお土産を渡したくなるし見たものを全て伝えたくなる。なにか悲しいことがあったときはすきな人より母の胸にとびこんで思いっきり泣きたくなる。けれどそれができないと意識したときまた悲しくなる。悲しみは乗り越えることはできないけれど、ともに生きていくことはできる。

3母を亡くして一年、今思うこと

ㅤ実のところ今は悲しみを乗り越えたいとも思っていない。母が亡くなった直後はどうにかしてその苦しみから逃れたかった。どうやっても逃れられないのなら生きてゆきたくないとさえ思っていた。けれど周りの人に助けられながら母のいない生活にゆっくり慣れていくうちに、悲しみをむしろいとおしく感じるようになった。

ㅤ日々のなかで母を思い出し胸がぎゅっと締めつけられるたび、母がわたしにそそいでくれていた愛情をより強く感じる。そして頭の中に母とわたしの20年間の思い出がぽわんぽわんと浮かびあがる。

ㅤクリスマスが近づくと、むかし家で小さなツリーの飾りつけを一緒にしたことを思い出す。日焼け止めを見たら小学生のわたしの顔に母が塗ってくれたことを思い出す。なんで日焼け止めをぬるの?と聞いたわたしに「ママが大人になったとき塗ってなかったことを後悔したから」と笑って答えていたことも。ひとつひとつ、思い出すたびにまるで母がここにいるよ、と言ってくれているように感じる。

ㅤだから大切な人の死の悲しみは乗り越える必要なんてないのかもしれない。いとおしい人がいないという痛みとともに生きていくことができたら、もう上出来なんじゃなかろうか。


ㅤ本日の写真はバールアンド ジェラテリア ラッフィナートのジェラートでした。


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