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薩摩オハラハー DAY8 肥後道草編

来熊

3/31(金)。翌日の飛行機で福岡空港から北海道へ戻ることになっていたので、実質最終日。当初は指宿辺りに行く計画も立てていたが、WBCでの村上選手の活躍にかなり刺激を受けたのでせっかくならと道中の熊本を巡ってみることにした。
人生初来熊(らいゆう)。

熊本市内名所巡り

早朝に鹿児島を出発し、新幹線で1時間かからずに熊本駅到着。

新幹線からは対岸の雲仙普賢岳が見えた


午前中は市電に乗って名所を巡った。

旅慣れた知人たちからは「熊本は都会」と聞いていて、実際高層ビルも多く札幌を歩いているような感覚だった。さすがは政令指定都市。

まずは水前寺成趣園。熊本藩主であった肥後細川家(平成期には首相も輩出)の大名庭園であり、神社や能楽堂などレベルの高い文化が薫る場所である。
個人的には昨年夏に訪れた兼六園よりもバラエティーに富んでおり面白かった。

古今伝授の間
細川幽斎が天皇家に「古今和歌集」の解釈を伝授した場所の再現

熊本藩は後述する加藤清正の家系が清正の息子の代に改易され、以後は細川家が治めた。
熊本藩の藩祖忠利の祖父は、戦国時代(というか日本史上)屈指の教養人細川幽斎である。和歌(だけではなく剣術も茶道も文化という文化は全て一流)の名手であるだけではなく、室町幕府や三英傑も一目置いた大政治家であり武将。
文武両道を地で行く人物であり、ソフトパワーを武器にした政治家は日本だと歴史を遡ってもあまりいないので今こそ注目し学ぶべき人物だ。

熊本城への道中、村上選手の母校九州学院に寄り道笑。
字面から勝手に田舎の山奥にある学校だと思っていたが(失礼笑笑)、市電通りに近い都会のおしゃれな学校だった。
校門近くには、TOKYO2020金メダル記念のポストがあったのでしっかり撮影。

熊本県は川上哲治を輩出した野球どころ。
前田智徳、松中信彦といった強打の左打者を生む土地のイメージが強く、村上宗隆もその系譜をしっかり受け継いでいるんだなと思う。

執筆時点(2023.4.28)では大不振だが何とか乗り越えてほしい…
来月エスコンのヤクルト戦見に行くのが楽しみ

そして、熊本のシンボル熊本城へ入城。

加藤清正像

お堀をはじめ城の敷地内には桜が満開。城よりも桜を見に来た人で溢れかえっていた。
加藤清正像もばっちり堪能して城内の有料エリアへと向かった。

熊本地震で甚大な被害を受けたが、本丸部分は復旧し城内に入ることができる。城内は、城の歴史を戦国~江戸~近代~現代と順を追って学べる資料館になっている。
とにかく、城らしい城である。
後述する西南戦争においては、熊本城を落とせるかどうかが戦いの分水嶺となった。結局熊本城を落とせなかった西郷隆盛に、「俺は官軍に負けたのではなく、加藤清正に負けたのだ」と言わせしめた天下の名城なのである。

城内は立派な博物館
本丸以外の部分は修復工事が続く
路面電車の走る街
昼は熊本駅「肥後よかもん市場」の名店「菅乃屋」にて馬肉!!
許容範囲のお値段で絶品だった…
年末辺りにでもお取り寄せしたい

田原坂


午前中に熊本市内を巡り、午後はローカル線に乗って田原坂へ向かった。

西南戦争最大の激戦地であり、薩摩旅らしい旅の結びとしてこれ以上ない土地である。
熊本駅から20分で「たばるざか」駅。
いかにも秘境駅感漂う場所だが、30分に1本普通列車が止まるのでアクセスはそれほど悪くない。


とはいえ、田原坂そのものへはここから1時間近く歩いて向かうことになる。

日本最後の内戦とされる「西南戦争」。現在は公園として整備され、桜が綺麗に咲き誇るこの土地で壮絶な戦いが行われた。
その激しさは土地の民謡に
雨は降る降る人馬は濡れる越すに越されぬ田原坂
と謳われたほどであった。

官軍と薩摩軍全員の名前が刻まれた慰霊碑

明治10年という時代の転換点。近代日本を創るという同じ志を持ちながらも、そのアプローチの違いによって骨肉相食む戦いとなってしまった西南戦争。この段階ではその後日本陸軍になっていく官軍も充分な武器を持っておらず、接近戦では薩摩軍の白刃が相当な威力を発揮したという。

官軍が戦い、薩摩軍が背負ったもの。それは、単なる近代化へのイデオロギー対立だけではなく、この国の歴史で連綿と続いた「武士」という文化の重みだったのではないだろうか。

田原坂本体
現代の感覚からすると狭い坂道だ

加藤清正のこと

この後は田原坂から再び熊本駅→博多駅→博多駅前で一泊→北海道の翼で新千歳、という流れなのだが熊本で新幹線に乗るまでの待ち時間が2時間ほどあったので(田原坂へのアクセスが予想以上によかった)、熊本市内を見下ろす花岡山に登ってみた。

花岡山は熊本駅にほど近い丘である。

頂上には「加藤清正腰掛石」がある。
熊本城を建設する際に石垣となる石を切り出して搬出したのがこの場所だそうで、それを記念した石だ。(実際に腰掛けたかどうかは知らない笑)

清正のように、低い身分から自らの力を恃みに立身出世し大名となった当時の戦国大名たちは、領国の治政にとにかく熱心だった。特に清正の場合は土木に傑出していたのでなおさらだろう。

現在の熊本市街を見下ろしてみる。
かつてこの場所で清正が自ら石材搬出の指揮を振るった様子を想像してみると、なんだかわくわくしてくる。
清正が熊本にいた期間は僅か20年ほどなのに、未だに熊本城=加藤清正であり、熊本の人からの評判も篤いのは素晴らしいことだ。
清正殿、熊本はよか街でしたぞ。

旅の結び


旅の途中に次の旅の目的地が自然と浮かぶことは多く、得てしてそういう形で初期衝動が浮かんだ旅はいい結果になることが多い。北海道出身の自分にとって、日本列島はまだまだ訪れるべき場所であふれている。
薩摩と来たら次は長州、土佐、肥前も…と考えてみたり…。
コロナで延期してしまっている日本アルプスも熊野古道も行きたい。

ネパール、南九州と人生に大きく影響を与えるような旅を続けた今年の3月だった。今後の行き先の候補には遂に「海外」が加わり始めた。
自分の行きたい国はG7やOECDに加盟していないようなマイナー国が多いのだが…笑笑、世界各国の山をぜひ巡ってみたいと思う。パタゴニアとか、キリマンジャロとか、若いうちに行ってみたい。
これからも自分の好奇心を大切にしつつ、山旅だけにはとどまらない形で時間を作りつつ旅を続けていきたい。

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