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あなた「らしさ」を出したデザイナーになるには

アートは「自己表現」
デザインは「課題解決」

が、私の大事にしている言葉です。

どちらも終わりはなく、全ての人が納得できるものでもなく、ただただ「その時点での最良、最高」を導き出すのが表現手として自覚しなければいけないところだと思っています。

私は最近、ロジカルに考えて構成を考えたり、効果測定を回すことを繰り返す内に、感覚よりファクト重視になってきました。
そのお陰か、20歳の頃にやったストレングスファインダーの5項目に無かった「戦略性」が、去年再度やったときに第2位の優位性になりました。

毎日様々なクライアントのバナーを作っているとき、ふとしたタイミングで「あ、これちょっとわかんないな」と思うことがあるんです。配色だったり、構成だったり、フォントだったりその時々で違いますが...でも共通して、過去の経験から引き出しを開けることや、一度立ち止まらずそのまま、つまりおざなりにしていることがあります(反省)。「なんとなくこんな感じ?」と。

で、そこに限って、クライアントやディレクターから刺されるんですよね。もう、自分でわかってたとこだからこそ、かなりの深手です(泣)心の中で「やっちまった!」の嵐、申し訳なさの嵐です。

もうほんとに、身にしみて思うんですが、デザインで「自分の中の甘えとの戦い」です。

デザイナーのはしくれとして7年、やっとその感覚が実感を帯びて私に重くのしかかっています。

「好きを仕事にする」にはその代償に「自分を商品として客観的に見る事」が必要不可欠です。「好き」は主観であり、どちらかというとアートに近い(もちろんアーティストは逆に、自分を受け入れて貰えるまでが超絶険しい道だと思うのですが)。「仕事」は客観であり、お客様がいて始めて成り立つ事なので、「私事」ではないのです。

どれだけ「我」を抑えつつ、世の中に寄り添えるか。

そのプロジェクトは、誰かの幸せのために貢献しているか。

デザイナーの中には、大手広告代理店の看板の元大御所の先輩と、豊富な資金、コネクション、様々な要因を含め個人として名を挙げる人もいますが、それは結局、それだけ人を幸せにし、楽しませた見返りだと思うのです。金額が大きければそれほど、沢山の人の元に届いてるってことですよね。

「らしさ」はある一定の業績の上に成り立つものであり、最初の駆け出しの頃に「私らしさを出してみました!」といったトンチンカンなモノを出すなんて全くナンセンス。

あのころの私に言いたい。

最大限に「公」に従い、個性を極限に抑えてもそれでも、じわりと滲み出るようなものこそ、自分の核にすべき「個」であり、「らしさ」なんだよと。

その為の基礎練習であり、毎日の反復であり、意識せずとも出来る様になるまでのその積み重ねこそが、広い景色をみる唯一の方法なんだよ。と。 

私はまだまだ基礎も反復も足りないので、そんな事を思いながらまた今日も自分の甘えと戦います。

デザインって楽しいですよ。一生をかけて付き合って行きたいなぁ。

と思った、そんな朝でした。


株式会社Beeworks→Fringe81(広告代理店)に在籍中。女性ファッション誌やDM、webデザインをやっています。小さい頃の口癖は「私強い子だから泣かないもん」