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「やりたいこと」から逃げない

東村アキコ先生の「かくかくしかじか」を読みました。

ご本人が高校時代、美大を目指すようになったきっかけから、現在のご本人の気持ちを交えての、ほぼノンフィクションの漫画。

文喫、という、六本木の青山ブックセンターの跡地にできた本専門のお店に前々から興味があって、入った瞬間手に取ったのが、この本。

もう、今日ほんとこの漫画読んでよかった。出会ったよ。文喫。ありがとうぶんきつ。もし六本木というちょっと意識高い系の本屋で、たまたま本社移転で早めの退社ができなかったら、出会ってなかったかもしれない。

本屋で何度か見かけることはあっても手に取らなかったのは、なんとなく「あの頃の自分を思い出したくない」ようなむず痒いような感じで避けていたけど、、でもエイやで読んだらまぁ泣いた。

自分も物を作る1人として、先生の「描け」にはほんとに痺れる。そうなんだよね、作り続けることの快感を知ってしまったらもう、作ることから一生逃げられない。何かを作り出すことから逃げつつもいつもそのことを考えざるを得ない。

「できない自分」と向き合うのが怖い

日々クリエイターとして表現の快感を味わっている身としては、プライベートでも「自分の気持ち良いことをしたい」という脳内エンドルフィンは常に全開で、毎朝通勤時間に、したいことで頭がいっぱいです。

「ピアノ弾きたいから今聞いているこの曲の楽譜買おう」とか

「土日またサーフィン行きたいなぁ、」とか

「デジタル絵興味ある、pixta使ってなんか描いてみようかな」とか

もう妄想は膨らみに膨らんで、電車で隣にいる人に「ねぇねぇ、今日も1日やりたいことばっかりだよね!」と話しかけたくなるくらい、頭がお花畑です。

でも、「やりたいな」と思うこと、そしてそれが「現実的に自分ができること」だった場合ほど、私も冒頭の東村先生のように「やりたくてできない」状態になるんです。なぜか。

「やりたいこと」なのに「やらない」「できない」。脳内で考えるだけで実際に行動に移さない。いわゆる「やるやる詐欺」。

毎日頭で「やった自分」を妄想しながら、1ミリも動き出そうとしない、という超矛盾です。

なんで「自分のやりたいことなのにやらないのか」

それは、実際にやったときに「できない自分」と向き合うのが怖いから。です。

「ピアノ弾いても全然弾けない、思ったように手が動かない、テンポについて行けない、飽きちゃう、粘り強く練習できない」

「サーフィンも満足にライディングできない、パドリングする腕力もない、結局楽しく波に乗れずにボードにぶつかってボコボコになってビール飲んで帰って終わり」

「デジタル絵はアナログ絵とは違ってまずツール覚えないといけないし、そもそもアナログ絵も満足に描けないのに、自分の満足の行く絵なんて書けるわけない」

などなど、「やりたい」とは「できない自分」との表裏一体というわけで。
めちゃくちゃ怖いです。自分で自分に失望したくないですから。

でも、最近はすんなりその「やるやる詐欺」を打開しています。なぜか。

それは自分が追い詰められて、「怠惰な自分」より「行動する自分」を選択しているからです。

「自分を追い詰める」とやるしかなくなる

自分を追い詰めるもの。それは

「育児」です。

「大学時代4年間に1コマも進まなかった漫画が、追い詰められて初めて一生懸命描いている」(意訳)

が、本当に真理をついているんです。つまり

「追い詰められると怖さを考える余裕もなくなる」ということなんだと。

子供産んでわかったけど、育児は圧倒的に時間がない。
土日仕事がフルにおやすみでも、自分に使える時間なんて、本当に1時間あるかないか。

朝は娘のかかと落としで起こされ、朝ごはんを作り、片付け、今日はどこに遊びにいくかを娘基準で考え、移動、遊びに付き合い、お昼はだいたい外食、帰ってきて娘が昼寝をするならまだ良い、しない場合は家でおままごとやお絵かきの相手、そうこうしている間に夕食の準備、片付け、そのあとは娘主導の番組を見るのに付き合わされ、結局、寝かしつけで一緒に寝落ち、夜中も2〜3回くらい起こされる。。。X2

あれ?全然どころか全く時間なくないですか??と。

昨日ふと「あ、久しぶりに時間使ったな」と思ったの、日曜夜20時からの「世界の果てまで!イッテQ!」をまるまる1時間寝そべって見れたことだし。(旦那が娘の遊びに付き合ってくれた)

そんなこんなで、やりたいことがたくさんある私はどうにか自分の時間を保つ為に「限りある時間の中でもっとも自分の有意義に過ごせる時間は何か」を意識して考えるようになりました。

怖さを想像している時間ももったいない!という感じです。

すると、今までずっとやらずだった

「船舶免許をとる」だったり「サーフィンを定期的にいく」だったり「ピアノで好きな曲を弾く」だったりがすんなりと、こだわりなく空いた時間でできるようになったのです。私は外的要因によって「追い詰められた」わけですが、結果としてとても良い方向に作用しています。

やりたいことから逃げない結果、得たもの

やりたいことから逃げないようになった私は、躓きながらも毎日何かしら成長するようになりました。が、何が一番大きく変化したかというと

自分を「だめなやつ」と自分で責めることが無くなった

ことです。今まで「あれもしていない」「これもできていない」「でもやりたい」の堂々巡りだったのが、1つずつ「できること」が増え、やったことが結果として残っていくと、自分に対してだんだんと「私やるじゃん、できてるじゃん」と思えるようになります。それが一番良い。精神的に楽になりました。

特に育児期間中は外的要因で「母としてうまくいかない自分」に悩むようになり、若干沈みがちだった気持ちも、小さい積み重ねでできることが増えるようになり、自己肯定感を保ついい薬になっています。

完璧主義者、自己肯定感の低い人、などは本当におすすめです。

自分が勝手に自分を抑圧して「いい子」になろうとしていたなんて。と今では思うのですが、ものを作っている以上、毎回「色々な怖さ」と向き合うことがどれだけ自分の為になるのかと気づいたので、忘れないように書いておこうと思います。

これからも、たくさんのやりたいことに怖がらずに向き合っていこうと思います。怖がっている暇もないくらいに!






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株式会社Beeworks→Fringe81(広告代理店)に在籍中。女性ファッション誌やDM、webデザインをやっています。小さい頃の口癖は「私強い子だから泣かないもん」