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30歳を超えてわかる、反復作業が大事なその理由

最近はサッカー日本代表のニュースをよく目にするたび、毎回のゴールシーンが繰り返し放映されているのを目にします。

試合を見ていた自分からすると、あのゴールも惜しかったよなぁ、あのアシストがあったからのゴールだよなぁ、なんてぼんやり見ながら思い返したりしてるんですが、「でもやっぱり、ゴールするってめちゃくちゃすごい事だよ」と思い、さらに「その一瞬の判断の為に、日々練習してんだよな」と思ったので、それについて書こうかと。

ゴールのような「決定的な一瞬」でなくても、「大事な時に、早く正確に判断が下せるようになる」とはまさに反復練習があるからこそ、とは全般に言えることだと思っていて

中学時代、剣道部だった私は、毎日、素振り、摺り足、面、小手、胴、を練習していて、当時、結構適当にこなしていたので、試合でも散々だったし、剣道は「辛いもの」という認識だった(実際寒稽古は死ぬほど辛い)

高校時代になり、美大受験を目の前に据えた時に(甘えてる場合じゃない、とりあえず1日2枚以上は絶対にデッサンを仕上げる)と課し、美術部の後は予備校、自宅でもデッサンをしまくった。

最初は思ったように描けなくて、ダメなのが自分でもわかる。かなり辛い。目ばっかり肥えて、自分の実力と理想とのギャップがあり過ぎて、何度も未完成で投げ出したり。。でも描く。下手でも描き続ける。

そうやって1年ほど経つと、やっと、自分の表現したい絵が描けるようになってくる(つまり見たままを描けるレベル)

そこから自分でも驚くほど

反復作業が楽しい、練習が楽しい...!

という「解像度が高くなる」段階に突入する

この、「解像度が高くなる」って何か?というと、ゲームで言えば「だいたいのシナリオはクリアして、後は隠れダンジョンや特殊技能、お宝を集める」段階」。全体を見渡せるようになった後に、自分で決めて深掘りしていけるレベルまできたということ。

見たままをコピーできるようになった私は、好きな画家の模写、デッサンの濃淡の研究をしてみたりと、もうそこからは「辛い」と一切思わなくなった。

その間ももちろん、基本的なデッサンを1日3枚、は欠かさず続けて居たので、あとはどれだけできるか、という感じ。

中学での反復作業は「辛い」大学受験の反復作業は「楽しい」

この違いが何かというと、やはり「一定のレベルまで達すると、その先に見えてくるものが自分の予想を超えて素晴らしいもの」だから、ということを知ったかどうかだとおもっている

この経験があってから、大学を経て社会人になってからも、「反復して学習する」という事が苦ではなく、毎回「なるほど、こうすればいいのか」という、自分との違いを見つける作業を繰り返すことで、どんなことも楽しめるようになったと思う。

まぁ、そこにはかならず「自分の興味があるものでないと続かない」が必ず含まれているのだけど

私は今、デザイナーという、所謂「好きを仕事にする人生」を選択しているわけですが、今までのおかげで、つまり

「反復によってしかたどり着けない場所がある」

とわかっているので、仕事が楽しい。

過去、散々な職場環境で、修行のようなアシスタントの時代もあったわけですが、それすら精神的には(作る、という点においては)非常に有意義でした。

今作っているクリエイティブの次は、わたしには「今作ったクリエイティブ」を宝として積んでいるので、また見える景色も違う。

1年後、どんな解像度で自分の人生が見えているか、ワクワクしません?

そんなこんなで、わたしは今日も仕事をするのです。

いつか
「決定的なゴールシーンを作り出す」ために。


株式会社Beeworks→Fringe81(広告代理店)に在籍中。女性ファッション誌やDM、webデザインをやっています。小さい頃の口癖は「私強い子だから泣かないもん」