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フェアであるということ

コミュニティーの自主性をテーマに色んなジャンルの本を読んでいたんですが、先日、社会学者の宮台先生が書いている本を読んでいたところ、 思いがけず、宗教の観点からコミュニティーのあり方を考える視点を得ることができました。

諸々を端折って本から私が解釈した結論から言うと、キリスト教は神の視点で自分を見るということを生き方として実践するもので、これはつまり「 神様は見ていてくれているから道理に反した行動はしません」という倫理観と「人に対してフェアである」というフェアネスの概念に 基づいている教えであることを初めて知りました。
(フェアネスに関しては「隣人を愛せよ」という言葉に象徴されるかもしれません。)

日本では、孤独やバッシングや足の 引っ張り合いなど、社会でいろんな問題が起きていたりしますが、これも実は 「高い視座から自分を見て行動を決めていく生き方を実践する」という 過去の日本人ができていたことが今の日本人にはできなくなってしまっているという問題がありました。

日本は多くの国民が無宗教で、他宗教の楽しいお祭りを取り入れて文化やエンタメにしていくといういい意味でのこだわりのなさはめちゃ魅力で私もそんなおおらかなちゃんぽん文化が大好きなんですが、

文明と社会の近代化とともに本当の意味での自然に触れることがなくなりムラ的な共同体もなくなったことで、日本人がゲノム的にアイデンティティーとして拠り所にしていた「自然神からみた視座」と「 誰か(世間)が見てくれてるからちゃんとしていよう」というフェアネスをなくしちゃってる。

本来、そういう姿勢こそがコモンズを大事にしようと言うパブリックマインド醸造するもので、 このマインドがどんどん薄れてきていることが原因で、 先日、ネットを賑わしてたような「一軒の近隣住民の苦情で公園がなくなる状況になってしまう」といった困った現実を生み出しているんだと思います。

自由は、コモンズとパブリックをベースにあるべきで、「社会」への配慮によって自発的に自らの自由を制約するという態度で初めて得られるものです。

公益と私益の線引き。
社会や隣人に対してフェアネスなマインドを作っていきたい。

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