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セルフ・ハンディキャッピング克服方法

高3の息子がいて受験勉強にエンジンが掛かっていない。

 自身も31年くらい前に似たようなものであり、心理状態は手に取るように分かる。


 やる気は無理やり出すものではない。

自然と湧き上がるものである。

 セルフハンディキャップの罠。

 ※注;セルフハンディキャップとは、 あらかじめ言い訳をして自分自身にハンディキャップを課すこと 失失敗しても自尊心が傷つかないし、成功したらハンデを乗り越えた 自分は凄いという快感を得られる。

 テスト前につい漫画を読み始めたり、今やらなくて良い部屋の片づけ をし始めたり。SNSでの時間の浪費も。


 逐行的セルフハンディキャッピングとは実際の行動によるハンディキャップ 努力を放棄したり、飲酒をしたり、徹夜をしたり


 主張的セルフハンディキャッピングとは言葉を発することによるもの 「あまり勉強してなくて」「体調が悪くて」「自信ないなぁ」など


 克服法としては、セルフハンディキャッピングすること自体が他者から 否定的に評価されると気付くこと。

自己防衛がそれでは出来なくなるから。


 言い訳をしない。

 生活リズムを整える。 

他人の言動を過剰に捉えない。

 自分の心に生まれた感情をすべて肯定する。

 そもそも一人の人間は生まれてくるときの生存競争を勝ち抜いた(精子レベル) 超エリートであるという自尊心をもつ。

 生きているだけでも優秀。

 環境を整えることは大事だが神経質に整えようとせず現状での最高パフォーマンスを 心掛ける。


以上 

以下参考文献添付

ネットに掲載された東大生でジョジョの奇妙な冒険マニアが自身が高校生の頃、勉強したくないマインドに陥ったのをジョジョをキッカケに克服した面白い記事がある。

東大生だけあってかなりの長文だが興味深い内容ですぐに読めます。


以下引用



「やらずに後悔するよりも、やって後悔した方がいい」

とよく言われますが、こんなのは嘘です。詭弁です。


たとえば、精いっぱい努力したのに失敗してしまったら、そのときの絶望感は計り知れません。一方、始めから努力なんてしなければ、失敗しても「あのとき努力してればなあ」と後から言い訳できて、精神的なダメージが少なくて済みます。


だから「やって後悔するよりも、やらずに後悔した方がいい」のです。




このように、“失敗したときの言い訳を作るために、あえて努力しないこと”を、心理学の用語で、『セルフハンディキャッピング』といいます。


たとえば、テスト直前になって部屋の掃除を始めたり、漫画を読み始めたりしてしまうのは、テストで失敗してしまったときの言い訳を作るための『セルフハンディキャッピング』の一種です。




高校時代の私はずっと「なんとなく勉強したくない」と感じていたのですが、今思えば、それも『セルフハンディキャッピング』の一種だったのでしょう。


受験に失敗したときの言い訳を作るために、無意識のうちに勉強しないようにしていたのだと思います。そうすれば、もし受験に失敗しても、「あのとき勉強してればなあ」と言い訳ができますからね。






こんな風に努力に後ろ向きになっていた私に、進むべき道を教えてくれたのがジョジョでした。ジョジョを読んでいなければ、勉強に前向きになれず、東大にも合格できなかったと断言できます。


この記事では、私がジョジョから学んだことについて、高校時代に悩んでいたことに触れながら、お話ししたいと思います。






※本文では『第五部「黄金の風」がさらにわかる記事』の内容に大きく触れていますので、先にそちらをご覧いただけると幸いです。


【ジョジョ考察】 第五部 「黄金の風」 がさらにわかる記事 (エピローグの意味、「覚悟」とは)

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マティス

2020/06/20 09:12

2019年にアニメ化され、年々人気が高まっているジョジョですが


第五部は 謎が多くて わかりにくい!

アニメを見終わって「なんかモヤモヤした感じ」が残った人も多いのではないでしょうか?(それもそのはずで、実は第五部は2回見ないとわからない仕組みになっているんです!)


意味深なエピローグや、何度も出てくる「覚悟」という言葉……

第五部の謎に隠された本当のテーマについて考察します


この記事は、特に


・第五部を読んだけど、なんか腑に落ちない方

・掛け合いやバトルに夢中で、隠された”テーマ”に気がつかなかった方

・ジョジョの名言、名セリフにハマっている方

・哲学・宗教に興味がある方(←?)

に楽しんでいたただけると思います








目次

【第0章】 あらすじ

【第1章】 結局、エピローグってなんだったの?

【第2章】 セリフに何度も「覚悟」 って使われてるけど……

【第3章】 第五部のテーマってなに?

【第0章】 あらすじ

まずは、あらすじを簡単にご紹介します。ご存知の方は、ここはスキップして【第1章】からどうぞ。


第五部の物語を要約すると「イタリアに住む少年ジョルノが、ギャングのボスになるまでの9日間を描いた物語」だと言えるでしょう。以下、ストーリーを起承転結に分けて紹介します。


〈起〉 ジョルノ、ギャングに入る


とあるトラブルをきっかけに、ギャング団の構成員ブチャラティに追われることになった少年ジョルノ。2人は一時は争うものの、拳を交える中で互いを理解し、ブチャラティはジョルノをギャング団にスカウトすることに。その後、ギャング団の入団試験をクリアしたジョルノは、ブチャラティのチームに配属され、行動をともにすることになる。




〈承〉 初任務:ボスの娘を守れ


ジョルノが加わり6人となった新ブチャラティチームの初任務は、ボスの娘を無事にボスの元へ届けること。しかし、ボスに恨みをもつ”暗殺チーム”はそれを許さない。次々と襲ってくる暗殺チームのメンバーから娘を守るため、ジョルノ達は幾度となく死闘をくり広げる。




〈転〉 ボスの正体を探れ


ジョルノ達は娘を守りきり、ボスの元へ引き渡した。だが、ボスの目的は、”娘を自らの手で確実に殺すこと”だった。そのことに気づいたブチャラティは、ボスを裏切って娘を守ることに。ボスが放つ刺客と闘いながら、ジョルノ達はボスを倒す方法を探す。




〈結〉 ボスを倒せ


ボスを倒すのに必要な”矢”を探すジョルノ達と、それを阻止すべく自ら動き出したボス。両者はコロッセオで衝突し、ラストバトルとなる。最終的にジョルノが”矢”を手に入れ、ボスを倒すことができたが、その過程でブチャラティを含む3人の仲間の命が失われてしまう。仲間の思いも背負って、ジョルノはギャングの新たなボスとなる。








【第1章】 結局、エピローグってなんだったの?



① エピローグで前日談?


第五部のエピローグでモヤモヤしている方も多いのではないでしょうか?


少年マンガのエピローグでは、ラスボスを倒した後の様子(後日談)が描かれることが多いです。


例えば、第三部のエピローグでは、ディオを倒した後の承太郎・ジョセフ・ポルナレフが空港で別れる様子が描かれており、3人が新たな道へと歩み始めたのだ、という印象が強く残ります。


一方で、第五部のエピローグでは、前日談が描かれています。なぜでしょう?




そもそもエピローグとは何なのでしょうか?


文学作品内におけるエピローグは、主に登場人物の運命を明らかにする役割を持つ、物語の最終章である。(Wikipediaより)

この定義に則れば、第三部のエピローグでは、承太郎・ジョセフ・ポルナレフの3人のこれからの明るい運命が示されている、と言えるでしょう。


しかし、第三部のメインとなる登場人物は3人ではありません。彼らは花京院・アブドゥル・イギーと一緒に6人で旅をしてきました。では、なぜ残りの3人の運命はエピローグで描かれないのでしょうか?


それは、彼らがすでに死んでいたからです。後日談では、物語の中で命を落とした人物の運命は描けないのです。




しかし前日談であれば、物語の最後では死んでしまっている人物についても、その運命を描くことができます。このような技法を使ってまで、第五部で荒木先生が伝えたかったことは何だったのでしょうか……?






② エピローグにキリスト!?


第五部のエピローグでは、ジョルノがギャングに入団する前の様子が描かれています。まだ5人だったブチャラティチームが、依頼を受けてスコリッピという彫刻家を調査する、という話です。


このスコリッピという彫刻家は、頭に茨の冠をかぶっていること、両掌に穴があいていることから、キリストをイメージして描かれていることは間違いありません。


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また彼のスタンド能力は、周囲にいる「死期が近い者」の死ぬときの姿を描き出す「死の運命の啓示」です。つまり彼は、人間の死の運命は決定されていて、努力でこれを変えることはできない、と伝えているわけです。


これはキリスト教カルヴァン派の「運命予定説」と呼ばれる考え方です。


予定説に従えば、その人が神の救済にあずかれるかどうかはあらかじめ決定されており、この世で善行を積んだかどうかといったことではそれを変えることはできないとされる。(Wikipediaより)

実際、スコリッピのスタンドは、ブチャラティ・アバッキオ・ナランチャの3人の死ぬ姿を描き出しています。この時点で3人の死の運命は決定されていたのです。


そしてスコリッピはこう語ります。


「我々はみな『運命』の奴隷なんだ やはり形として出たものは……変えることはできない… 何者たちかは知らないが 彼らはこれで『苦難の道』を歩み そこで何人かは命を落とすことになる! しかし……彼らがこれから歩む『苦難の道』には何か意味があるのかもしれない……彼らの苦難が……どこかの誰かに希望として伝わっていくような 何か大いなる意味となる始まりなのかもしれない…」

ここでいう『苦難の道』とは何なのか、荒木先生が伝えたかったことは何だったのか……。残念ながらエピローグだけではわかりません。






③ 結局、エピローグって何だったの?


以上をまとめると、エピローグでは「物語が始まる前からブチャラティ・アバッキオ・ナランチャの3人の死の運命は決定されていた」という内容の前日談が描かれている、ということになります。


エピローグだけでは、荒木先生が伝えたかったことははっきりしません。ただ、エピローグをふまえて、これまでの物語を読み返すと、あるセリフが実は大きな意味を持っていたことに気がつきます。








【第2章】 セリフに何度も「覚悟」 って使われてるけど……



① よくわかんないセリフ多くない?


セリフがカッコいいということも、ジョジョの魅力の1つですよね。名言・名セリフも多く生まれており、公式から「ジョジョの奇妙な名言集」なる本が出版されるほどです。(しかも2冊!)


名称未設定




一方で、なんかカッコいいけど意味はよくわからないセリフというのもあるように思います。例えば、ギアッチョとの死闘のさなかにジョルノが叫んだこのセリフ


「『覚悟』とは……犠牲の心ではないッ!

 『覚悟』とは!! 暗闇の荒野に!! 進むべき道を切り開く事だッ!」

ここでいう「覚悟」とは何を指すのでしょうか?






② 「覚悟」に関するセリフ多くない?


先ほどのセリフの中にも「覚悟」という言葉が使われていましたが、ふりかえってみると、第五部のセリフには「覚悟」に関するセリフが多いことに気づきます。


初めて「覚悟」という言葉が使われたのは、ジョルノとブチャラティが初めて出会ったときです。


ジョルノ「あなた…『覚悟して来てる人』……ですよね」

  (中略)

ブチャラティ「おまえの気高き『覚悟』と……黄金のような『夢』にかけよう」

プロシュート・ペッシとの戦闘の際にも、「覚悟」という言葉が使われています。


ブチャラティ「覚悟はいいか? オレはできてる」

  (中略)

ペッシ「兄貴の覚悟が!「言葉」でなく「心」で理解できた」

  (中略)

ブチャラティ「今何もしないってのが……オレの…『覚悟』だ……」

また、先ほどのギアッチョとの戦いの中のジョルノのセリフにも続きがあります。


「あなたの「覚悟」は… この登りゆく朝日よりも明るい輝きで『道』を照らしている そして我々がこれから『向かうべき…正しい道』をもッ!」



ここでいう「覚悟」とは何か。命をかけた死闘のさなかに「覚悟」という言葉を使っているのですから、それは「死ぬ覚悟」という意味でしょう。


しかし、それではおかしいのです。


「死ぬ覚悟」とは、自分の命を犠牲にしてでも目的を達成しようとすることです。しかし、ジョルノは「『覚悟』とは犠牲の心ではない」と断言しています。




「覚悟」が「死ぬ覚悟」ではないならば、「覚悟」の本当の意味とは何なのでしょうか……?






③ 結局、どういうこと?


第五部のセリフの中では、「覚悟」という言葉が何度も使われています。この「覚悟」は、単に「死ぬ覚悟」を意味しているのではないようです。


残念ながら物語を読んだだけでは「覚悟」の意味ははっきりしません。ただ、エピローグをふまえて、これらのセリフを改めて読むと、「覚悟」の本当の意味がわかってきます。








【第3章】 第五部のテーマってなに?



① エピローグと「覚悟」を合わせて考えると……


【第1章】では、「物語が始まる前から、ブチャラティ・アバッキオ・ナランチャの3人の死の運命は決定されていた」ということがエピローグで描かれていることをご紹介しました。


【第2章】では、第五部で何度も登場する「覚悟」という言葉は、自分の命を犠牲にしてでも目標を達成しようという「死ぬ覚悟」を意味しているのではない、ということをご説明しました。


これらを合わせて考えることで、荒木先生が伝えたかったことが見えてきます。






人間の運命はあらかじめ決定されていて、人間はそれを知ることも変えることもできない。戦いの勝敗は、戦いが始まる前から決まっていて、自分には変えることはできない。しかし、だからといって、自分の運命を受け入れて、やけくそに生きるべきではない。「覚悟」を決めて、いま・ここで、限りなき努力を続けよう。将来的にどうなろうが、いま・ここで生きる私たちにとってはどうでもいいことなのだから。






「『覚悟』とは……犠牲の心ではないッ!

 『覚悟』とは!! 暗闇の荒野に!! 進むべき道を切り開く事だッ!」

「覚悟」とは、自分の運命を受け入れて自暴自棄になることではありません。運命という不可知の道をビクビクしながら歩むのではなく、自分の意思で自分の進む道を切り開くことこそが、真の「覚悟」なのです。


ジョルノの言う「暗闇の荒野」を、スコリッピは「苦難の道」と表現しています。


「我々はみな『運命』の奴隷なんだ やはり形として出たものは……変えることはできない… 何者たちかは知らないが 彼らはこれで『苦難の道』を歩み そこで何人かは命を落とすことになる! しかし……彼らがこれから歩む『苦難の道』には何か意味があるのかもしれない……彼らの苦難が……どこかの誰かに希望として伝わっていくような 何か大いなる意味となる始まりなのかもしれない…」

自分の意思で自分の進む道を切り開くことは、運命という決まった道を歩むことと比べると、より多くの苦難があることでしょう。しかし、「苦難の道」を歩むことで「どこかの誰かに希望として伝わっていくような 何か大いなる意味」を生み出すことができるのです。


「ブチャラティは死んだ……アバッキオも…ナランチャも…しかし

 彼らの行動や意志は滅んでいない」

ジョルノが言うように、行動の結果ではなく、意志こそが重要なのです。






② 第五部のテーマ


「エピローグとして前日談をつけ加えることで、これまでのセリフに新たな意味を持たせ、運命予定説に対する自らの考えを表した」というのが第五部の本質であると私は思います。


第五部のテーマは「変えることのできない運命に対してどう向き合うか」ということです。テーマを知った上で本編を見直すと、バトルやキャラの掛け合いがより深いものに感じられると思います。


この記事を読んでくださった方が、よりジョジョを好きになっていただけたら幸いです。






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目次

【第1章】 古典物理 : ラプラスの悪魔

【第2章】 世界史 : 運命予定説

【第3章】 ジョジョ : 第五部「黄金の風」

【第1章】 古典物理 : ラプラスの悪魔



先ほど「無意識のうちに勉強しないようにしていた」と言いましたが、実は、勉強しないというのも簡単なことではありません。周りの人がバリバリ勉強しているのを見ていると、“焦り”がこみあげてきて、消極的に勉強してしまうものです。


もちろん、私にも”焦り”はありました。しかし、その”焦り”は、私を勉強させるのには働かず、自分が勉強しないことを正当化させるようにのです。つまり「勉強しない自分は正しくて、勉強してる連中は間違っている」と思い込もうとしたのです。




「勉強しないことの正当化」に一役買ったのが、古典物理でした。


古典物理では、「現在の状態が分かれば、未来の状態も分かる」という考え方が使われます。たとえば、「現在のボールの速さ・位置などが分かれば、何秒後に地面に着いて何回バウンドしてどこで止まるのかが分かる」という具合です。


といっても、「現在の状態を完璧に把握することはできない」「5秒後の状態を計算するのに5秒以上かかってしまう」などの理由から、このような“未来予測”は、実現不可能だと言われています。




しかし、実現可能かどうかは全く問題ではないのです。

重要なのは、「ある時点の状態が定まれば、それ以降の未来も決まってしまう」ということです。この考え方によれば、「未来のことは全て決定していて、自分では変えようがない」ということになります。


それどころか、未来を変えようとする自分の努力さえも、全てあらかじめ決まっているのです。


このように、「ある時点の状態を状態を完璧に知ることができ、未来を知ることができる存在」は、“ラプラスの悪魔”と言われています。




試験を受けるずっと前から試験の結果が決まっていて、自分の努力では結果は変えられないとしたら、、、それでも勉強を続けられますか?


それどころか、自分が“勉強するかどうか”さえもずっと前から決まっているとしたら、、、努力を続けられますか?




この古典物理の考え方、“ラプラスの悪魔”という存在は、「勉強しないことを正当化する」のに大いに役立ちました。








【第2章】 世界史 : 運命予定説



「勉強しないことを正当化する」のにさらに役立ったのは、ちょうど同じころに世界史で扱っていた“運命予定説”という考え方でした。


予定説に従えば、その人が神の救済にあずかれるかどうかはあらかじめ決定されており、この世で善行を積んだかどうかといったことではそれを変えることはできないとされる。(Wikipediaより)

私は運命予定説を知ったことで、「これから自分に起こることは全て決まっていて、自分には変えることはできない」と感じるようになりました。




世界史で運命予定説を習っただけでは、このように感じることはなかったのかもしれません。


しかし、“ラプラスの悪魔”と“運命予定説”をちょうど同じタイミングで知ったことで、この2つが結びついて、一段と説得力が増して聞こえたのです。




こうして、私の中で”運命論”が真理だと感じられるようになったことで、より一層「勉強しないこと」が正当化されました。








【第3章】 ジョジョ : 第五部「黄金の風」



ジョジョを読んだのは、そんなときでした。


実はジョジョは中学生のころに友達から借りて読んだことがあったので、読むのは2回目でした。(中学生のころ読んだときには、「バトルおもしれー!」「セリフかっこいい!」くらいの感想しか抱いていませんでした。)




しかし、名作は読むたびごとに異なる感想を抱かせてくれるものです。



”運命論”を知ってからジョジョを読み返すと、第五部のエピローグでキリストらしき人物が登場することに気づき、衝撃を受けました。


しかも、そのキリストらしき人物の能力は「近くに死期が近い人間がいるとき、その人間が死ぬとき姿を示す」というものです。




明らかに運命予定説じゃあないか!!!



第五部は「死ぬ運命が決まっている人物が、その運命にどう立ち向かうか」を描いた物語だったのです。


それに気付いてから、第五部はもちろん、他の部も何回も読み返しました。そして、ジョジョの全てに一貫する“人間讃歌”というテーマ、「結果よりも過程・意志が重要だ」という考え方に感銘を受けて、ジョジョにどハマりしたというわけです。




ジョジョのおかげで、「たとえ失敗したとしても、挑戦したという過程・意志こそが重要なのだ」と思えるようになり、少しずつですが、積極的に勉強できるようになりました。


あの頃にもしジョジョに出会っていなかったら、東大に合格することは絶対になかったでしょう。その上、「努力したって未来は変えられないのだから、努力なんて無意味だ」というニヒリズム的な思想に毒されていたかもしれません。


ジョジョに感謝するとともに、これからも人生に迷ったらジョジョを読もうと心に決めました。






以上、私がジョジョから学んだことについて、高校時代に悩んでいたことに触れながら、お話ししました。




「失敗するのが怖くて挑戦できない」と悩んでいたり、漠然と「勉強したくない」「努力したくない」と感じている方には、ぜひジョジョを読むことをオススメします。




最後に、ジョジョのセリフの中で、特に私が感銘を受けたものを紹介して、この記事を終わりたいと思います。


わたしは『結果』だけを求めてはいない

『結果』だけを求めていると、人は近道をしたがるものだ…近道した時真実を見失うかもしれない やる気も次第に失せていく


大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている

向かおうとする意志さえあれば、たとえ今回は犯人が逃げたとしても、いつかはたどり着くだろう? 向かっているわけだからな…違うかい?

(第五部・アバッキオの元同僚)

真の『失敗』とはッ!

開拓の心を忘れ!

困難に挑戦する事に無縁のところにいる者たちの事をいうのだッ!

(第七部・スティーブン・スティール)

オレは『納得』したいだけだ!『納得』は全てに優先するぜッ!!

でないとオレは『前』へ進めねぇッ!

『どこへ』も!『未来』への道も!探す事は出来ねえッ!!

(第七部・ジャイロ・ツェペリ)

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!






第五部のエピローグ・「覚悟」の意味については別記事で解説しています。

ぜひご一読ください。




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