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【入社エントリ】広告代理店から不動産×マーケティングに移りました

ちょうど3年前の12月、世間はまだコロナで外出制限もあったような昔、当時の働いている広告代理店に嫌気が差していた私は、新しい会社の内定をもらいました。意気揚々と書いたnoteはいまだに多くの人に読まれているのか、いいね の通知が今でもたまに届きます。

次の代理店では確かに多くの学びと出会いもあって、社会人人生の中でもかなり「濃い」時間を過ごせていたのかもしれないません。
だが、これは本当に自分のやりたかったことなのだろうか?入社して数か月で疑問符が付くことはあったが、それ以上にスキルのない自分にとっては、「修行」しないと次には進めない、不退転の覚悟で挑み続けました。

ただ、疲れた。

あまりのプレッシャーに、毎朝涙が止まらない時期もあった。

前回の転職からスパンは長くはなかったが、自分の覚悟と貫きたいもののために、自分のわがままを、、言ったのです。


前々職まで

閑話休題。少しだけ自己紹介をさせてください。

新卒で東証スタンダード(当時はJASDAQ)上場している不動産デベロッパーで営業をしていました。会社の規模は50名ぐらいで、当時は営業といっても仕入れ(土地や物件を買ってくる)から、企画・販売まで、世間で言うところの一気通貫と呼ばれるほぼ全ポジションを経験しました。しかし、あまりにも短い配属スパン(3か月で業務が変わることもしばしば)と、企画の仕事が面白かったので、もっと極めたいと思って広告代理店の世界に足を踏み入れました。

その後は、博報堂DYホールディングスの子会社のDACに入り、さらにそこから同グループのアイレップに出向し、ずっとリスティング広告の運用に携わってました。ほぼ第二新卒に近い形で入社したので、もう0からのやり直しに近いぐらいのマインドで様々なお客様を担当させていただきました。億単位の案件までは担当できなかったけど、最高で月額8,000万まで運用金額はいきました(この時も辛すぎて、涙が出ることもしばしば)。
毎日永遠と管理画面とレポートとプレゼン資料とにらめっこ、コンペが入れば地獄のような残業、死にそうな勢いで働く上司たちを見て、ここで役職をもらうのはやりたくないな、と思って当時のメンバーも育ってきたタイミングでやめることにしました。

※今は少し労働環境が良くなっているという話も聞きますが、広告代理店の「成果が出るまで働く」「クライアントの言うことは絶対」はまだ拭えませんね。。。

前職のこと

その後、IPOを目指す代理店+ベンダーのベンチャー企業に縁があって、入社することになりました。
リスティング広告の運用ばかりで、クライアントと議論したり、もともと最初の会社で考えていた「企画」的な要素ができなかった自分のために、営業業務も合わせて、幅広くできるポジションを探していました。

もちろん今までのリスティング広告に加えて、SNS広告、MEO、時にはクリエイティブやディレクション(当時のメンバーからすると全然できてないと怒られますがw)もそうですし、何よりクライアントと直接コミュニケーションをとったり、新規で提案をしたり(一時、3か月で10社近く新規提案したことも、、)広告業界に関わることは、ある程度なんでもやってたのかなと思います。

そして、何よりも大きかったのがメンバーです。
私と同時期に他代理店(アイレップと同規模)の役員をされていた方がチームの責任者として、その配下に2年目前後の若手ばかりというスーパーフレッシュチームで、もはや会社の教育機関の役割も担うような組織編成でした。会社として、1on1が推奨されていたので本当に何度も面談をしたり、会社や組織、時にはキャリアの話もして、私自身下から突き上げられることも本当に多かったと思います。

実は会社としてのメイン事業は別の部署だったのですが、小さいチームだからこそ自分たちで考え、結果を残すことの重要性は本当に気付かされることばかりでした。
※リクルート出身の前職のCOOが「優秀な人材はメインではない事業から生まれる」という話をよく思い出します。


転職に踏み切ったきっかけ

ちょうど1年前、退職を告げる8か月前に、上記の部署がメイン部署と融合という形で新しい上長やメンバーも合流することになりました。
もちろん、今まで広告業界の中で閉じこもっていた私からするとナレッジで知らなかったことも多かったですし、「人」としての幅の広さ、「こんな営業や考え方もあるのか」と、さらに新しい発見も多かったのは事実です。
私も、最後会社で一番大きい(※当時)案件を担当させてもらうこともでき、部署外の優秀なレイヤーとも仕事を進めることが多くなりました。

ですが、なかなかパフォーマンスも出ず(今思うと来店系の施策なので、天候・外部要因もかなり大きく)、案件としても私が入ってから半年でリプレイスという本当に悔しい経験をしました。
朝から晩まで案件チームで議論をしたり、時には先方オフィス(地方のお客様だったので泊りがけで)にお伺いして、1日中マーケティング合宿をしたり、半年間奔走し続けました。先方の事業責任者と何度も話し合い、彼の気持ちや環境を逆算して、最適なプランを説明&実行し続けたと思います。

でも、やればやるほど「自分が事業責任者だったら何をするべきか」という観点や感情移入が強くなりすぎて、今の自分を試してみたいという思いが強くなってきました。

メンタル的にもプレッシャーと憧れが交じり合い、リプレイスされる前の防衛コンペで全部出し切ったときには思わず涙が溢れてしまいました。


転職の軸

リプレイスされる前から転職について動いていたのですが、気が付けば不動産に縁があり続けていたのが、決め手になっていたのです。

最初に入ったのはデベロッパー、その次も幾多のクライアントの運用の中でも最後に担当していたのはハウスメーカー(自分の中でも2番目に長い運用期間でした)、上記の案件以外にも別のハウスメーカーやマンデベ関連も担当したので、自然と相場感・ペルソナ・内情が手に取るように分かるなという自覚がありました。

一部を除いて、不動産業界のマーケティング職に絞りつつ、最後に感じていた「自分が事業責任者だったらどう考えるか」を実現できる会社を選ぶことにしました。

最終的に上場企業のマーケティング職、さらに実質上マーケ組織のトップに近い形で入社することになります。


今していること

入社する前にメンバーや営業上長、社長や役員とも面談しましたが、いい人は多いものの自分の想像の3倍ぐらい組織が整っていないことも分かりました。

会社の考え方は、「売れた者が正義」オールドチックな結果主義の営業組織、システムは徹底的にコストカット、投資よりも目の前の数字、という半分今の時代から取り残されたような感じなのかもしれません。

コロナ禍を経て、さすがにデジタルマーケティングには着手するようになりましたが、私たちのマーケティングチームは営業にリードをパスする「できそこないのメンバーが行くところ」と白い目を向けられています(目標設定も無茶苦茶で、市場や現場感に合わない決済目標も課せられています)。

マーケのトップに近いとはいえ、実質なんでもやってます。代理店ディレクション、自社で回す運用型広告、社内メディアの品保チェック、クリエイティブ制作、CRM、さらにはイベント準備や、営業へのリードパス用のシナリオ作成、経営陣向けの報告資料、全社的なDX・BIツール整備、予算取り、部署連携(営業、開発、DX、IR)、、、など挙げればキリがないです。
メンバーも私よりも年齢が上の方もいますが、全員新卒からなので社外の情報がほとんど入ってきておらず、マーケ組織の育成というのも裏テーマでは存在します。

でも、たのしい。

自分の考えていること、その120%を振り絞り、今までに広告だけ関わっていると経験できないような多大な領域を担当し、毎日仮説・検証・改善に向き合い続けるような仕事です。

おまけに不動産の世界って、通常の社会人だと出会うことの無いようなスーパーエリートや、ありえないような事件にも巻き込まれることもあるので(弊社は大丈夫ですが)、話のネタが尽きないのも事実です。

会社も変わろうとしている()ので、まだまだやりようはいくらでもあります。30代の会社から見ると若造の自分が、大きく組織の在り方を変える、そんな岐路に立たせてもらえているいいチャンスを恵んでもらったなと思ってます。


最後に

これを書いている2023年の年末、来期のマーケ予算の調整と今年の振り返りをしていたら、最初の会社で勤めていたころの年度の振り返りを見つけました。

「入社して5年で人事か経営企画の部署に行く」

社会を何も知らない当時の自分が、営業が嫌で逃げで掲げた選択肢なのかもしれませんが、あれから5年強が経った今、当時勤めていた会社よりも大きく、あの頃は考えもしなかった世界観の中でマーケティングの仕事に携われていることに何かの縁を感じます。

様々な会社に行って、たくさんの価値観と知識に触れて、その1つ1つが今の自分を形成できています。※特に前職でお世話になった方々には、一緒に弊社の課題解決に取り組んでいただける方も多く、感謝してもしきれません。

2023年の末、細やかながら彼らへの感謝と、翌年が明るく、すべての組織・会社・業界そして社会がより良い方向に進むことを祈ります。

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